性的モラルの破壊・同性愛・LGBTに関する記事
◯アカデミー賞女優ジョディ・フォスターが同性婚。性の乱れはどこまで進むのか。2014年5月1日
- イルミナティは音楽や映画の中に性的な要素を潜ませ、サブリミナル効果で人々の性的なモラルを低下させようとしている
- ディズニー映画には数々の性的な要素やイルミナティのシンボルが混入されているが、「アナと雪の女王」ではかなり露骨な同性愛コードが多用されている
◯性の乱れが文明を崩壊させる。その原理について。2014年5月2日
- モラルが崩壊すると人々は安逸主義に陥り、生産性を失い、真面目に仕事をしなくなり、生活が乱れて国家全体が衰退する
- 性欲に取り憑かれてしまうと、その間はなかなか他のことに手がつかなくなる上、その欲望を満たすのはそれほど簡単なことではない
- 一度性欲が満たされたとしても、続けて欲を煽られれば、その後も際限なく性的なものを求めてしまうこともある
- 若い頃に性的なものをどんどん吸収してしまうと、大人になってからもその欲を抑える術が身につかず、性的なものばかりに溺れて生きるようになる
- 快楽だけを求める性的な行為には何の生産性もない
- 性欲に溺れると物事を効率よく考えることができなくなり、モラルに対する考え方も低下し、人間としての精神レベル、頭脳のレベルが低下してしまう
まだ日本人は欧米人程モラルが低下していませんが、テレビに毎日の様に同性愛者が登場することで視聴者の感覚が麻痺してしまい、正常なことと異常なことを識別する判断能力が低下しモラルが低下していく恐れがあります。
◯日本政府が性的倒錯を奨励。首相夫人、華やかなパレードでイメージ操作を促す。2014年5月4日
◯RAPT×読者対談〈第32弾〉波動ブームに対する警鐘。またはワクチンと大麻と気と健康について。2015年9月13日
日本国首相夫人の安倍昭恵は、同性愛者のパレードに参加したり、大麻を栽培したりと、怪しげな活動を精力的に行っていますね。
◯村上春樹の過剰な性描写。少年少女に悪影響はないのか?2014年5月16日
◯村上春樹の過剰な性描写に憂いを抱く方が大勢いらっしゃいます。単なるポルノ小説を優れた日本文学として讃えるのはやめて下さい。2014年9月10日
◯ビートルズを使った洗脳工作の実態。またはビートルズを大々的に宣伝する村上春樹について。2015年10月29日
- 性的な表現が多い村上春樹の作品も、文学作品ということで子供でも手に入れて読むことができてしまう
- ポルノであれば見ることに対する後ろめたさや罪悪感を感じるものだが、有名作家の小説であれば過剰な性描写がされていても抵抗なく受け入れてしまい、モラルの低下を招く恐れがある
◯ポルノのまん延は公衆衛生上の危機」米専門家たち。2014年5月18日
- 世の中に蔓延する性的な情報から子供を守らなければならないが、現状では限度を超えた表現のポルノでない限り規制することが難しい
- 「男性はポルノに初めて触れる年齢が若ければ若いほど、合意に基づかない性行為に走る可能性が高くなる。一方女性は、ポルノを見れば見るほど、合意に基づかない性行為の犠牲者になる確率が高くなる。」という研究結果がある
◯日教組が行う過剰な性教育。日本のモラルを破壊する悪魔たちの正体。2014年7月1日
- 日教組は「性教育・ジェンダーフリー教育」と称して過剰な性知識を子供たちに植え付けている
- 教育現場で幼児や児童に男性性器や女性性器の絵を見せたり、セックスの方法や避妊方法を教え、同性愛のことまで教えるケースもある
◯「同性愛」差別と「同性愛」の普及を糾弾することとは異なります。しかし、いずれにせよ「同性愛」は正常な感覚ではありません。2014年9月4日
◯裏社会が「同性愛」を普及させる方法。そのパターンが分かりましたので、簡単にご紹介します。2014年9月5日
- 「同性愛」も「小児性愛」など性癖の一つに過ぎないが、同性愛だけ政府やマスコミから手厚く保護されている
- 政府やマスコミは「同性愛」差別については過剰に騒いで徹底的に叩いて撲滅しようとするが、他の差別に対する撲滅には同性愛ほど力を入れていない
- 個人レベルの関係での性的な表現はセクハラとして断罪されるが、テレビでタレントが卑猥な話をしたり、女装した男性が登場することで多くの人が不快に感じてもそれはセクハラとはされない矛盾
◯RAPT×読者対談〈第109弾〉カナダは次の秦氏=ロスチャイルドの拠点となる。2016年8月31日
- カナダの教育は世界で最高の教育だと言われているが、実際は日本の遥か上を行くゆとり教育が行われていた
- ゆとり教育で学校で子供を厳しく躾けなくなったのは、イルミナティが「悪」と「善」を分けることなく、「悪人」も「善人」も公平に受け入れられる世界を造るため
- カナダは同性婚が認められている世界でも数少ない国
- カナダではLGBTのイベントが大々的に行われ(トルドー首相も参加)、LGBT差別反対運動も盛ん
- 下半身下着だけになって電車に乗るイベントがカナダやアメリカなどで行われている
- 「女性の平等」を訴えるために、女性がトップレスで街中を歩くといったイベントがカナダやアメリカなどで行われている
- カナダでは娯楽用の大麻が合法化された(2018年10月17日にカナダ全土で大麻が解禁)
- カナダでは学校に託児所を設置しなければならないほど子供の性的モラルが低下している
カナダの学校では託児所だけでなく避妊具の販売機や喫煙所やホモクラブまであるそうです。
○参照リンク:カナダの学校事情について教えて下さい。【jpcanada掲示板】
あなたがもし同性愛者であり権利や自由を求めているのであれば、わざわざ肩身が狭い思いをして生活しなければいけない日本に固執するのではなく、カナダに移住してみるのもいいかもしれないですね。
差別されることなく同性愛を楽しめますし、同性婚もできますよ。
LGBTやセクハラに関する発言をした人に差別主義者のレッテルを貼る仕組み
◯今後は能力のない女性に役職を任せなかっただけでも、女性蔑視・女性差別と糾弾される見込みです。男性は特にご注意ください。2014年9月19日
- イルミナティは自分たちが広めたいと思う社会的風潮に反対する者に対して、差別主義者というレッテルを貼り付けようとする
- イルミナティはマスコミを使ってイルミナティに都合が良い話題を大きく取り上げ、その反対意見はスルーするという不平等な報道をすることで世論を形成し、国民の思考をイルミナティの方針に誘導する
悪魔崇拝と異常な性的儀式
◯〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。2015年3月4日
- チベット密教の「秘密集会タントラ」では、善悪の観念を壊すためには徹底的に「悪」を行い、本能的欲求を貪り「糞・尿・精液・経血・肉体」を飲食し、更には十二歳と十六歳と二十五歳の女性とセックスをすることで新たな悟りが開けるとされている
- 秘密集会タントラでは、殺生を生業とする人たち、好んで嘘を言う人たち、他人の財物に執着する人たち、常に愛欲に溺れる人たち、母・妹・娘に愛欲をおこす人たちが極楽浄土に生くのに相応しいと説いている
- チベット密教の指導者になるためには異常な性的行為を行う必要がある
- 日本にチベット密教を伝えたのが空海と最澄であり、オウム真理教もチベット密教の左道の流れを汲む
- 立川流真言密教はチベット密教張りの性的ヨーガを行ない、性的行為と殺人を大々的に行った
- 「建武の新政」でおなじみの後醍醐天皇は立川流真言密教の行者でもあった
◯〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。2015年3月5日
- 「仏教」には大きく分けて「顕教」と「密教」の二つがあり、人前では「顕教」を説いて善人を装い、陰では「密教」を説いてこそこそと淫乱なことを行っている
- 本来仏教では性交は不淫戒で誡められているが、密教では瑜伽タントラの理趣経や多くの無上瑜伽タントラによって肯定されており、性交を通じて即身成仏に至ろうとする教義解釈がある
- 天台宗や真言宗などでは同性愛儀式を合法的に行うために、剃髪しない少年修行僧(7~18歳)の稚児との慰め(性行為)を潅頂儀式として仕立て上げ日本に広めた
- 芸能人や有名人などが同性愛者であることをカミングアウトしたり、同性愛者を擁護することで、世の中の人々は同性愛が孕んでいる異常性を見失ってしまう
◯この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。2015年3月6日
- サナト・クマーラはヒンドゥー教の第1クマラ・仏教の大黒天・神道の大国主・ユダヤ教やキリスト教の日の老いたる者(=悪魔)・ゾロアスター教のアフラ・マズダー・スーフィーのムスリムにて知られているアル=ハディル(緑の人)とも見なされる同一神
- 悪魔教であるゾロアスター教では、自分の親、子、兄弟姉妹と交わる最近親婚を「フヴァエトヴァダタ」と呼んで最大の善徳としている
- 日本各地の神社で行われる祭りは嘗ては若い男女の乱交パーティーの場でもあった
- インドのヒンズー教の寺院には男女の性行為を模写した数多くの像が祀られている
◯神社仏閣に潜む悪魔たち。またはアガルタから悪魔のメッセージを伝える人たち。2015年3月7日
- 日本には男女の生殖器を御神体として奉っている神社が多数ある
- 神社の注連縄の形は蛇の交尾を模したもの
◯天皇家と安倍首相と永田町の政治家が「密教」を信じる悪魔崇拝者であるという確たる証拠。2015年3月8日
◯魔術のいけにえで5歳男児を斬首したインドの事件は、我々日本人と全く縁のない事件ではありませんでした。2015年6月9日
◯日本と古代エジプトと悪魔崇拝のつながりが一発で分かる幾つもの物的証拠。2015年6月16日
◯ジャンヌ・ダルクと共に戦い、悪魔崇拝のかどで処刑されたジル・ド・レ。1000人もの少年を性的嗜好と降霊のために殺害した男の記録。2015年6月20日
追加情報
◯「日本会議」の本体である「生長の家」は、基本的人権、国民主権、平和主義を全ての国民から奪おうとしています。
「LGBTは生産性がない」と発言し、大バッシングを受けた杉田水脈は「新しい教科書をつくる会」の理事を務め、この「つくる会」は日本会議の会長である田久保忠衛と代表委員の加瀬英明が顧問を務めています。
この日本会議は宗教団体である「生長の家」と深いつながりがあります。
◯RAPT×読者対談〈第121弾〉清和源氏と日本会議と蝦夷共和国と緑の星。
また、杉田水脈を擁護する文章を寄稿したのが小川榮太郎であり、この文章が更にLGBT議論に火に油を注ぐかたちとなり、結果的に「新潮45」は廃刊に追い込まれ、少しでもLGBTに批判的なことを言う人は差別主義者というレッテルが貼られる風潮ができてしまいました。
この二人のWikipediaを見てみると、2018年7月に『民主主義の敵』という本を共著で出版していますね。
また、この小川榮太郎という人物は「創誠天志塾(旧・青年真志塾)」という宗教団体「生長の家」の関連団体の塾長であり、『約束の日 安倍晋三試論』の著者でもあります。
以下のリンクからも小川榮太郎が安倍晋三・昭恵夫妻と近い関係にあることが分かります。
「青年真志塾」が講師として招いた人物は以下のリンクにまとめられています。
「LGBT批判」をした杉田水脈を批判し、「LGBT擁護」をしている稲田朋美も「青年真志塾」の講師として名を連ねていますね。
LGBTを擁護している稲田朋美はこのような思想の持ち主の人物です
国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違っていると思います。
今私たちが生きているのは、私たちの今の生活だけが大切なんじゃなくて、先人から引き継いできた・・・世界中で日本だけが道義大国を目指す資格があるんです。
稲田朋美
このように国民のための政治など全く考えていない稲田朋美がLGBTを擁護しているということは、心からLGBTの人のことを思ってのことではなく、何か別な魂胆があって「LGBT擁護」というスタンスをとっているわけです。
また、杉田水脈のWikipediaによると以下のような記述もありました。
2018年8月2日、自民党は、寄稿内容には問題への理解不足と関係者への配慮を欠く表現があったとして、杉田に指導をおこなったことを発表。同日、安倍晋三首相は、「人権が尊重され、多様性が尊重される社会を目指すのは当然」であり「政府・与党の方針でもある」との見解を述べた。
杉田水脈 – Wikipediaより
安倍晋三は「人権が尊重され、多様性が尊重される社会を目指すのは当然」だと、首相として尤もらしい見解を述べています。
しかし、以下の動画の16秒頃から始まる長勢甚遠の発言にご注目ください。
自民党の憲法草案というものが、発表されました。わたしはあれについて、正直言って、(草案に)不満なんです。
一番最初にどう言っているかというとですね、国民主権、基本的人権、平和主義、これは堅持するって言ってるんですよ。
この三つを無くさなければですね、ほんとの自主憲法にはならないんですよ。
長勢甚遠(元法務大臣)
「国民主権・基本的人権・平和主義を無くさなければいけない」とはっきりと断言していますね。
ちなみにこの集会はこちらのサイトによると、安倍晋三が会長を務める創成日本の東京研修会の様子だとのことですので、会長の安倍晋三も「国民主権・基本的人権・平和主義を無くさなければいけない」という、聞けば誰もが耳を疑ってしまう思想を持っているということです。
つまり、この「創成日本」の会長であり日本国首相でもある安倍晋三は「国民主権・基本的人権・平和主義を無くさなければいけない」という思想を持ちながら、LGBT問題について「人権が尊重され、多様性が尊重される社会を目指すのは当然」と偽善的な発言をしているのです。
このLGBT問題はただの人権問題ではなく、政治家や宗教団体など多くの人々や団体の利権が絡んでいるようです。
LGBT利権については以下のリンクをご覧ください。
◯「LGBT」は利権。LGBT推進の犯人はカルト宗教「大本教」・「生長の家」です。
また、ジェンダーフリー教育の弊害と危険性については以下の引用文をご覧ください。
ジェンダーフリー教育の恐るべき「弊害」
ジェンダーフリー教育の恐るべき「弊害」
「男らしさ・女らしさではなく、人間らしさ」は空理空論
ジェンダーフリーは子供の健全な人格を破壊し、結婚離れを加速させる。そうなれば、家族が崩壊するだけでなく、社会の崩壊にも直結する。
「男らしさ」や「女らしさ」など、男女の性差を否定・解消しようとするジェンダーフリー教育が全国各地の教育現場に浸透しつつある。例えばピカピカのランドセルを背負って今春入学した一年生たちは、「男の子が黒いランドセル、女の子が赤いランドセルというのは親や社会が勝手に決めただけ」と言われ、ランドセルの色を男女で区別するのは間違いだと教えられる。また高学年の子供たちは、教科書やテレビ番組などの登場人物について、「男子がズボンをはき、女子がスカートなのはジェンダー・バイアス(性別による偏り)があるためだ」などと教え込まれ、そうした「バイアス」に敏感になるよう要求されたりする。
このように、ジェンダーフリー教育とは、「区別は差別」という観点から、男女の一切の区別を許さない極めて偏狭な人間を作るための洗脳教育なのである。そればかりか、その推進者たちが理想とするのは雌雄同体のカタツムリであるともいわれている。つまり、日本の子供たちを男でも女でもない雌雄同体の「無性人間」に改造してしまおうというのが、ジェンダーフリー教育に秘められた目的ともいえるのだ。
これを笑い話というなかれ。現に福岡のある高校では、男子と女子が同じ教室で日常的に平然と着替えをするという驚くべき光景が見られるのだ。その多くは小学生の頃からジェンダーフリー教育を受けてきた生徒たちであるという。つまり、異性に対する思春期特有の恥じらいの感覚のなくなった子供たちがすでに出現しているわけだ。こうして本来の正常な感覚を失ってしまえば、精神的な意味での「無性人間」まではあと一歩といってもよい。
こうした現実を見ても、ジェンダーフリー教育という、平成の日本に現れた愚行の弊害は余りにも明らかだろう。とはいえ、ジェンダーフリー教育を憂慮する人々の間でも、それが子供や社会に具体的に及ぼすであろう弊害については、案外知られていないように見うけられる。
そこで、性差の否定・解消をめざすジェンダーフリー教育の弊害について、かねてこの問題を論じてこられた林道義東京女子大学教授の所論を中心に整理してみたい。
◆破壊される子供の人格
ジェンダーフリー教育の最大の弊害は、何と言っても子供たちの人格形成に破壊的な影響を及ぼすことである。自我が形成される幼少期から思春期にかけて、男女の区別をしないとアイデンティティーが健全に作られず、場合によっては性同一性障害や同性愛などに陥ってしまう危険が、心理学者などの専門家によって指摘されている。以下、林氏の見解に耳を傾けてみたい。
まず、林氏はアイデンティティーとは何かについて、「自分が自分らしいと思えばよい」というような簡単なものではなく、いくつもの「帰属感」から成り立つ複雑なものであると述べる。「たとえば、家族の一員だという帰属感。また自分は男なのか女なのか、どちらなのかという帰属感。そのほかにも日本人という帰属感。故郷や学校や会社への帰属感など、多くの帰属感の累積によってアイデンティティーが形成される」という。つまりアイデンティティーとは、「同心円的な層をなす帰属感の集まり」であるというのだ。
中でも、特に男か女かという性別についての帰属感は「アイデンティティーの基礎」であり、大変重要だと林氏は強調する。すなわち、三歳頃から思春期までに自分が男であるか女であるかを「意識的に確信」し、「性別に見合った行動基準」が確立されていることが是非とも必要だというのである。言うまでもなく、こうした心理学上の要請の正しく正反対をやろうとするのがジェンダーフリー教育に他ならない。
もし、自分の性別に対する確信が揺らいで定まらないと、性同一性障害に陥ったり、自我そのものが健全に形成されない恐れが出てくるという。そればかりか、さらに次のような弊害が生ずる危険があるともいう。
「価値観や考え方の面で自分に自信が持てず、無気力や閉じこもりの原因になりかねない。さらに、異性との関係がうまく作れないとか、……同性愛に傾くとか、要するに生物として子孫を残すために必要な行動に支障が出るおそれがある。予想される障害は、心理面から本能行動まで多岐にわたり、深刻である」
こうした心理学上の根拠から、林氏はジェンダーフリー教育に対してこう警鐘を鳴らすのだ。「このままジェンダーフリー教育が広まると、五年後十年後には青少年の心の病が急増する恐れがある。……(ジェンダーフリー教育は)愚かさを通り越して、子供たちの健全な心の発達を阻害する犯罪と言うべきである」と(産経新聞)。
ジェンダーフリー教育の推進者たちは、「男らしさ」や「女らしさ」などよりも、大切なのは「自分らしさ」であり「人間らしさ」であると主張する。しかし先のような林氏の見解は、こうしたフェミニストたちの主張がいかに危険きわまりない空理空論に過ぎないかを教えているといえる。結局、性差否定の教育によっては「自分らしさ」は確立できないし、そればかりか「心の病」に陥ってしまい、「人間らしさ」を失ってしまうことにもなりかねないからだ。
ちなみに氏によれば、特にこうした弊害は女子よりも男子の方が大きくなる危険があるという。「心理的に去勢されてしまい、男性の本能行動にとって必要な積極性を失ってしまう者が出てくる可能性がある。単に本能行動ができなくなるだけでなく、男子が男らしさに欠けると、男性としてのアイデンティティーを明確に持てなくなり、自信喪失、無気力、現実逃避などの弊害が出る」というのである。
いずれにせよ、心理学の専門家がジェンダーフリー教育の弊害として、性同一性障害や同性愛に陥る危険性まで挙げ、子供たち、とりわけ男子の「心の病」が急増することを懸念している事実は決して看過できるものではない。
◆母性と父性のさらなる解体
ジェンダーフリー教育を受けた子供たちは、思春期における人格形成が歪められてしまう恐れがあるだけではない。さらに、母性や父性がはなはだしく欠けた大人に成長してしまう危険もある。
言うまでもなく母性とは、子供を産み・育てる過程で働く受容的な優しい心の働きであり、わが子を可愛いと感じ、慈しみ・養い・育てる母親の保育行動として主に現われる。それに対して父性とは、妻や子を守り、子供を社会に適合できる人間に育てるために必要な倫理的な心の働きであり、家族をまとめ、わが子に善悪の判断力・秩序感覚・社会のルールなどを身につけさせる父親の役割として主に現れる。
現代の日本の社会で、このような母性や父性がすでに大きく崩れつつあることは周知の通りである。例えばここ十数年、子供を愛せず憎らしいと感じる母親、さらに子供を虐待する母親まで急速に増えている。一方、父性のない「友達のような父親」が増えた結果、秩序感覚のない子供が増加し、今日の学級崩壊は引き起こされたと指摘されてもいる。ジェンダーフリー教育は、こうした母性や父性の解体現象をますます決定的なものとしてしまう危険があるわけだ。
実際、最近の大学などの「女性学」の講座では、「母性は社会的・文化的に作られたもので、高々百年の歴史しかない」などといった母性本能を真っ向から否定しようとする洗脳が「学問」に名を借りてなされている。また、母性本能を否定する「母性神話」という言葉はマスコミなどを通して日常的に流布されている。ジェンダーフリー教育によって、母性解体がさらに促進されてしまうことは確実だといえよう。
こうした懸念に対しては、逆に「母性が本能なら、子どもを産んだら必ず出て来るはずだし、そんなに簡単に壊れるはずがない」といった疑問を抱かれる方がいるかもしれない。しかし、決してそうではない。
例えば林氏は、母性は本能ではあるが、母性本能というものが本来極めてデリケートな性質のものであることをこう強調する。「本能というものは、発現するための条件がいるのであり(専門用語ではリリーサーと呼ぶ)、また発現を妨げる要因が働かないことが必要条件になる。人間の母性本能は非常に微妙であって壊れやすく、夫との不和とか、『社会から取り残される』というあせりなど、ちょっとしたきっかけで破壊されてしまうのである」と。つまり、「本能なら必ず出て来るはず」という考えは根本的に間違っており、「母性本能は微妙で壊れやすい」ことを理解しなければならないというのである。
とりわけ注目されるのは、最近激増している母性が壊れた母親のケースとして、「母親が母性本能と敵対するようなコンプレックスやイデオロギーを持っているために、自ら母性を抑圧したり、母性を傷つけているケース」が指摘されていることである(『母性の復権』)。例えば、外で働くことにしか価値を認めない「働け」イデオロギーは母性本能にとって有害であるという。そうであれば当然、優しさや受容性といった女性の美徳を全面的に否定しようとするジェンダーフリー教育が、母性にとって極めて有害であり、母性本能を徹底的に破壊してしまう恐れがあることは明らかだと思われる。
一方、ジェンダーフリー教育が父性のさらなる解体を促進することも間違いない。
そもそも「父」とはいかなるものかについて、林氏はこう述べる。「『父』は楽で自然ではいけない。そもそも父とは無理をしなければ務まらない役目であり、母が『自然』であるとすれば、父は『理想』なのだ。父とはもともと『しんどい』ものなのである。『しんどさ』に耐え、理想を追求するのでないなら存在意義がなくなる、というのが『父』なのだ」と(『父性の復権』)。
ところが男子に対して、そのような「しんどさ」に耐える必要はない。「男らしさ」は鎧であり、仮面であるから、「男らしく」などと無理をしないで「自分らしさ」を持て、もっと楽になれ――などと教えるのがジェンダーフリー教育なのだ。もちろん、父性と「男らしさ」とは全く同じものではない。だが、子供の頃から「無理をするな」「楽になれ」という価値観を徹底的に教え込まれた男子に、どうして父性が健全に育つことが期待できようか。
◆「結婚離れ」の助長と少子化による破局
このようにジェンダーフリー教育は、子供たちの人格形成を歪め、さらには母性や父性の健全な発達をも損ねてしまう危険があるわけだ。
しかし、もちろんジェンダーフリー教育の弊害は、こうした個人的・精神的な次元の問題にとどまるものではない。当然、こうした弊害はいくつもの深刻な社会的次元の問題を引き起こさざるをえない。
中でも最も深刻な問題といえるのは、最近の日本の若者の間で急速に進んでいる「結婚離れ」の傾向がますます助長され、その結果、わが国が破局的な少子化社会に転落してしまう危険である。これは、先に林氏が指摘したジェンダーフリー教育の弊害――「生物として子孫を残すために必要な行動に支障が出るおそれがある」「特に男子の場合、心理的に去勢されてしまい、男性の本能行動にとって必要な積極性を失ってしまう者が出てくる可能性がある」――の必然的な帰結といえる。
ところが、呆れたことにジェンダーフリー思想の信奉者の中には、ジェンダーフリー社会になると結婚は増えるはず、などというバカげたことをいう者がいる。例えば大沢真理氏は、「男は仕事、女は家庭」という固定的性別分業があるために「結婚の蕫敷居﨟が高く、若い人々が結婚を先送りしている」のであるから、ジェンダーフリー社会になって、固定的性別分業がなくなれば結婚は増えるという。しかし、これは世間を欺くための虚言というほかない。
なぜなら、固定的性別分業がなくなれば結婚が増えるなどという主張はそもそも原理的に間違っているからだ。世の大多数の男女にとっては、夫婦の役割には違いがあるからこそ互いに協力しあうことの意味があり、また結婚への決意や覚悟もはじめて生まれてくる。夫婦の役割分担意識が全くなくなれば、結婚の意味はほとんど無くなり、結婚しようという意欲も消えてしまうはずである。すなわち、「男はこう、女はこう、という『固定的役割』についての通念がキレイさっぱり洗い流されたら、人間はそもそもつがいになろうなんてしなくなる」(長谷川三千子氏)というべきなのだ。結局、固定的性別分業を全面的になくそうとするジェンダーフリー教育は、「家をつくり、子供を育てるといったことにまつわる常識を積極的に壊そうとする教育」(長谷川氏)と言わざるをえないのだ。
また、たとえジェンダーフリー教育によって固定的性別意識がなくなったとしても、林氏が懸念するように、子供たちが結婚のできない「人格」に歪められてしまえば、正しく元も子もない話となるわけだ。このように、世の中がジェンダーフリーになれば結婚が増えるなどという主張は、二重の意味で根本的に間違っているのである。
それどころか、中川八洋筑波大学教授によると、「結婚しない/家族をもたない/子供を産まない」若者を急増させ、「日本の人口を確実に大減少させていく」ことこそは、ジェンダーフリー教育の主な目的であるとされる。というのも、ジェンダーフリー教育を受けた子供たちは、「大人になったとき正常な男女関係あるいは正常な夫婦関係をもとうとする意欲に決定的な心理欠損(トラウマ)」を生ずることになるのは余りにも明らかだからである。
ちなみに、平成十二年の日本の若者の未婚率は、例えば二十五歳~二十九歳の世代では、男性が七〇%、女性が五四%に達している。特に女性の同世代の未婚率が三十年前と比べて三六%も増えていることが注目されているが、日本女性の合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む平均子供数)低下の最大の背景は、この事実にあるといわれている。
周知のように、日本の合計特殊出生率はかなり以前から人口が維持できる水準の二・〇八を大きく下回り、平成十三年には一・三三にまで下がっている。この結果、わが国の人口は二〇〇五年以降減少傾向に転じるのは確実といわれ、二一〇〇年には六千四百万人にまで減少するとも推定されている。ジェンダーフリー教育によって若者の「結婚離れ」がさらに進んでいけば、破局的な少子化社会への転落のスピードも致命的に加速化されるはずである。
◆家族の崩壊から国家の崩壊へ
もちろん、結婚しない・結婚できない若者たちがいかに増えたとしても、結婚して良き家庭を築きたいと考える若者たちが全く消えてしまうわけではない。しかし、果たしてジェンダーフリー教育を受けた若者たちは、健全な家族を築くことなど出来るのだろうか。
ジェンダーフリー教育を受けた子供たちは極端な男女同型イデオロギーに洗脳され、母性や父性も健全に育っていないため、残念ながら多くのカップルは健全な家族を築くことが不可能となるはずだ。恐らく、「仕事も家事も平等に」という観念に縛られているであろう多くの夫婦は、対立関係に陥りがちな潤いのない夫婦関係に疲弊するのではあるまいか。あるいは母性や父性の欠如から、自由が束縛される子育てを互いに押し付け合うことにもなりかねない。結果的に家族の絆はきわめて脆弱なものとなり、離婚や虐待などの家族崩壊現象が激増することは目に見えている。つまりジェンダーフリー教育は、若者の「結婚離れ」を助長するばかりか、家族の絆を極端に弱め、「健全な家族」を日本の社会から消滅させてしまうのだ。
こうした家族崩壊の激増が日本社会に及ぼすことになる弊害は余りにも深刻だ。例えば幼児虐待や離婚の増加によって、多くの子供たちの情緒はますます不安定なものとなり、そうなれば今や危険水域に達したと言われる少年犯罪がさらに深刻化することは間違いない。そのことは、例えば数年前に大阪弁護士会が少年の凶悪犯罪の背景を調査した報告書が、調査した全てのケースに離婚や育児放棄、虐待など家庭環境の問題があると指摘している事実からもうかがえる。子供を育てることが家族の最も基本的な機能であることを考えるならば、家族の絆の脆弱化や崩壊が少年犯罪の増加につながるのはむしろ当然の結果といえる。
また、たとえ虐待や離婚などの目に見える形での家族崩壊にはいたらなくとも、父性や母性の欠けた親によって子供の人格形成が著しく歪められてしまう危険も決して無視できない。例えば幼児期に母親との十分な触れあいがなく、「母子一体感」を達成できなかった子供たちは、思春期になって心身症、神経症、人格障害などさまざまな「心の病」に陥りやすいことが分かっている。これに関して最近注目されるようになったのが、「サイレント・ベビー」という現象である。泣かない・笑わない・反応がない・母を求めない――などという「静かな赤ちゃん」がここ数年増えているというのだが、多くの小児科医が、わが子を愛せず、コミュニケーションがとれない母親、つまり母性のない母親に原因があると警告を発している。
さらに、先に触れた最近の少年犯罪の増加傾向は、母性の解体現象とも「はっきりとした因果関係がある」と林氏は指摘する。「母親の愛情への飢餓感や不満感は、子供の攻撃性を増大させ、自暴自棄にさせる」からである。周知のようにスウェーデンは国をあげた育児の「社会化」を推進し、出産後間もない幼児たちを母親の元から引き離し、保育園で育ててきた。その結果、スウェーデンではやがて子供の犯罪が急増し、ついには世界一の犯罪大国となった。ジェンダーフリー教育によってさらに母性解体が進んでいけば、わが国がスウェーデン以上の犯罪大国となってしまう日が遠からずやってくるに違いない。
もちろん、「健全な家族」の消滅が日本の社会に突きつける最大の問題は、祖先から受け継いだ独自の歴史と伝統文化に根ざした日本国そのものが消滅してしまう危険である。というのも「健全な家族」こそは、国家の土台とも言うべき道徳や伝統文化を子供たちに伝えるための最後の拠り所であり、それ故に国家の根幹だからである。「健全な家族」の崩壊が国家の崩壊に直結していることを指摘しておきたい。
◆男女の性差は「人類の知恵」
では、このように「百害あって一利なし」のジェンダーフリー教育に対して、われわれはどのように反撃していけばよいのだろうか。まず、何よりも必要なのは、ジェンダーフリーの考え方そのものの誤りを徹底的に国民に知らしめることである。
では、その誤りとは何か。改めて繰り返すまでもなく、ジェンダーフリーとは、「男女の性差は社会的・文化的に獲得されたもの」だとの理由によって、その性差を全てなくそうとする主張である。そこには二つの根本的な誤りがある。第一に「性差は文化や社会によってのみ出来上がる」という誤りであり、第二に「性差は悪であり、なくすべきだ」という誤りだ。
最初の主張が誤りであることは、何よりも最近の脳科学が雄弁に教えている。男女の性差は本質的に「脳の性差」という生物学的な根拠に基づくものであり、「男らしさ」や「女らしさ」も「脳の性差」に深く関わっていることが明らかにされているからだ(『明日への選択』平成十五年一月号参照)。
一方、「性差は悪であり、なくすべきだ」という主張が誤りであることは、これまで述べてきた性差否定の教育がもたらす弊害を見ても明らかだと思われる。こうした弊害は逆説的に、性差というものの存在意義や必要性を雄弁に物語っているといえるからだ。
さらに強調したいのは、男女の性差は悪であるどころか、人間社会が存続していくために絶対に必要なものであり、それは「自然の知恵」「人類の知恵」とでもいうべき実に貴重なものだという事実である。
人間を含む生物一般には雌雄の区別があり、また雌雄は精神的な態度においても対照的な性質をもっている。例えば大部分の生物において、たいていは雄の方が雌よりも積極的で攻撃的である。これはなぜかというと結局、生殖行為における積極性や外敵との戦いを、主に雄の方が担わなければならなかったからである。この意味で、生物一般に見られるこうした一種の性別役割分担は自然が授けた知恵ともいえる。これを林氏は生物が生き残るための「優れた戦略」であると指摘する。
人間の「男らしさ」「女らしさ」と呼ばれる性差は、こうした生物としての人間が生き残るための性別役割分担の一環として捉えることができる。つまり「男らしさ」「女らしさ」は、男性と女性の理想を概念化したものではあるが、根本的には人間の生存自体のために不可欠な性別役割分担をうまく機能させるために生み出されたものなのである。
それ故、日本人に限らず人類全体が、男子を「男らしく」、女子を「女らしく」育てるために色々な文化的な仕掛けを発達させてきたのである。例えば「イニシエーション(参入儀礼)」と総称される儀礼である。これは子供から大人になる儀礼であるが、大抵の場合、男女別々の儀礼が行われる。子供は抽象的な「大人」になるのではなく、必ず「男の大人」か「女の大人」になることを求められてきたからだ。
当然、こうした「文化的な仕掛け」の具体的な姿は民族や時代によって異なるが、大部分の民族が色々な儀礼や教育などを通して、男女の区別を教えてきたのは事実である。
重要なことは、こうした男女の区別を際立たせる「文化的な仕掛け」というものは、人類の「文化的発達と洗練」を物語っているということである。例えば林氏はこう述べる。
「文化が発達するということは、男女それぞれの文化が分かれて洗練されていくことであり、日本でも端午の節句と雛祭りがあるように、男女それぞれの儀礼や行事が明確な意味と美しい様式を伴って発達してきた。それらを通じて男女の区別を意識させ、男性または女性としてのアイデンティティーを確立させてきたのである。
男言葉と女言葉の区別も、文化的発達と洗練の結果であり、男女平等の遅れを示すものではなく、文化的先進性の現われなのである」
周知のように、昨春文部科学省の委嘱によって作られた子育てパンフ『未来を育てる基本のき』は、ジェンダーフリーの考え方から鯉のぼりや雛祭りを否定的に取り上げた。しかし端午の節句や雛祭り、あるいは男言葉や女言葉など、わが国にさまざまな男女の区別にまつわる伝統文化が存在することは、フェミニストが批判するように「男女平等の遅れ」を示すものなどではなく、逆に「文化的先進性の現れ」であることを肝に銘じたい。
平沢勝栄「LGBTばかりになったら、国はつぶれる」発言で炎上
杉田水脈発言からのLGBT議論の熱が冷めてきたため、またしてもLGBT推進派によるLGBT批判からの炎上騒動です。
LGBTに批判的な発言をすると、以下のリンクの様な発言者に対する「差別主義」「教養がない」といったバッシング記事が巷に溢れます。
平沢勝栄氏「LGBT、国はつぶれる」発言が物議。本人は「タブー視していては議論進まない」と説明
自民党の平沢勝栄・衆院議員が「LGBTばかりになったら、国はつぶれる」と発言した問題について、同氏は「同性婚は憲法に保障された権利」とした上で、LGBT批判が発言の真意ではなかったと説明した。ハフポスト日本版の電話取材に1月7日に答えた。
1月3日に山梨県で開かれた集会の模様を、日本テレビ系列のニュースサイト「日テレNEWS24」が報じていた。この中で、平沢氏は「LGBTで同性婚で男と男、女と女の結婚。これは批判したら変なことになるから、いいんですよ。もちろんいいんですよ。でも、この人たちばっかりになったら国はつぶれちゃうんですよ」と発言している。
また、同じニュースの中で、平沢氏はその他に、渋谷区などの「同性婚へ証明書を発行している自治体」に触れ、「先進区だとか自慢しているが、私にはその考え方はよくわからない」とも述べている。
ハフポスト日本版による電話取材に応じた平沢氏は「入管法の話から、日本の人口減少や人手不足について言及した。その中での発言だった」と説明している。
同性婚(パートナーシップ)の証明書を出している自治体について言及した部分については、「区だけの問題ではなく国の問題であり、国会で議論すべき」という趣旨で、自治体を批判したわけではないと話した。
同性婚については、自身の考えとして「憲法に保障された権利で、そもそも賛成・反対の話ではない。『やめろ』ということはできない」と語った。
国会での議論が進んでいない現状に対して「同性婚などの話題はタブー視され過ぎていて議論が進まない。これがおかしい」と指摘した。
LGBT法連合会が発言撤回求める
平沢氏の発言が報じられると、ネット上では批判の声が続出した。
ロバート・キャンベルさんはTwitterで「平沢さん、少しは勉強してくださいよ」と苦言を呈した。
LGBTアクティビストの東小雪さんも「少子化とLGBTの権利を守ることは全く別の問題」と投稿。「どのような文化的背景、宗教の国にも性的マイノリティの人々は一定の数います。可視化が進んでも”LGBTばかりになる”ことはありえません」と批判した。
LGBT法連合会は「平沢氏の発言は、性的指向および性自認等により困難を抱えている当事者に対する、存在の否定ともいえる発言であり、このような主張は到底許容できない」として、この発言を批判。平沢氏に対し、発言の撤回と謝罪を求めている。
LGBTと政治家発言をめぐっては、2018年にも、自民党の杉田水脈議員が「新潮45」に寄稿した論考で、同性カップルについて「生産性がない」などと主張。海外メディアでも批判的に報じられた。
しかし、杉田水脈発言の時ほどの炎上騒ぎとはならず、LGBT利権者たちの思惑通りに事は進まなかったようですね。
世の中の悪が全て滅び、あなたに救いがありますように。
隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう。
ルカによる福音書 8章17~18節