天皇家に受け継がれる朝鮮からの血と文化

明治維新の際に山口県田布施町出身の「大室寅之助」が「明治天皇」とすり替わって以来、現在の天皇家は江戸時代まで続いてきた一族とは別物だと考えられています。

このような話は学校の歴史の授業では教わることがないので、人によっては初めて耳にする話かもしれません。

天皇と言えば終戦前までは日本の国家元首であり、日本の神話に登場する神の子孫ということになっており、実際に国家神道によって日本国民から「神」として崇められてきました。

その「日本人の代表」とも言える天皇が実は日本人ではなく、朝鮮半島から日本に渡航し、日本に住み着いた外国人だったとしたら…

このような話をすると、私が何か突拍子もない戯言を言っているように聞こえ、俄かには信じられないかもしれません。

しかしあなたも、「天皇家には朝鮮からの渡来人の血が流れている」という話なら、耳にしたことがあるのではないでしょうか。

実際に、この明治維新よりも遥か昔から天皇家には朝鮮からの渡来人の血が流れています。

このことについては、明仁(平成天皇)続日本紀に記されていると明言しております。

日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。

韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。

宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。

こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。

日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。

私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。

武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。

また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。

天皇陛下お誕生日に際し(平成13年) – 宮内庁

明仁の発言をまとめるとこのようになるでしょうか。

  • 朝鮮からの移住者の子孫が代々雅楽の楽師を務め、現在も宮内庁楽部にいる
  • 桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫
  • 武寧王の子である聖明王が日本に仏教を伝えた

宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務めということですから、当時の渡来人の子孫が代々朝廷に仕え、それが現代まで続いているということです。

渡来人とはいえ、日本に住み着いて既に千年以上も経つわけですから、「日本人」と言っても差し支えなさそうですが、そこをあえて渡来人の子孫と言っているのは、彼等渡来人の子孫たちが「日本人」というよりも「朝鮮人」というアイデンティティーを強く意識して生きているからでしょう。

もしかしたら、天皇がこのような発言をするのも、天皇自身がこの渡来人の子孫特有の考えを持っているからかもしれません。

その証拠として、天皇家も天皇家一族や藤原氏(藤原氏の祖である中臣鎌足も百済人という説があります)など限られた人達だけで婚姻関係を結び家系を維持してきました。

天皇家が近い親族内での婚姻を繰り返して家系を維持しているのも、「朝鮮半島からの渡来人」という血筋を守るためなのでしょう。

また、「宮内庁楽部」という言葉が出てきたので、「雅楽」について調べてみました。

アジア大陸の諸国からもたらされた音楽や舞に、上代以前から伝わる音楽や舞が融合し日本化した芸術で、10世紀頃に大まかな形態が成立し、今日まで伝承されている。元は、奈良時代にまでさかのぼる。

現在においては、以下の三つに大別される。

国風歌舞(くにぶりのうたまい) — 日本古来の歌謡をもとに平安期に完成された、神道や皇室に深い関わりをもつ歌舞。神楽・東遊・倭歌・大歌・久米歌・誄歌などで、主に宮廷の行事や儀式で演奏される。

大陸系の楽舞 — 5世紀頃から9世紀頃までの間に大陸から伝わった楽舞をもとに日本で作られた、中国、天竺、林邑系の唐楽(とうがく)と、朝鮮半島、渤海系の高麗楽(こまがく)。インド ・ベトナム地域やシルクロードを西にたどった地域から伝来した音楽や舞も含まれる。

謡物(うたいもの) — 日本古来の民詩や漢詩に節づけをした声楽で、大陸からの渡来楽器による伴奏をともなう平安期に新しく作られた歌曲。催馬楽や朗詠など。


5世紀前後から中国、朝鮮半島など大陸(南アジアについては、736年に大宰府に漂着した林邑(ベトナム)僧から伝えられたとされる舞楽が「林邑楽」と呼ばれ、唐楽に分類される。)から儀式用の音楽や舞踊が伝わるようになり、大宝元年の大宝令によってこれらの音楽とあわせて日本古来の音楽や舞踊を所管する雅楽寮が創設されたのが始まりであるとされる。

この頃は唐楽、高麗楽、渤海楽、林邑楽(チャンパの音楽)等大陸各国の音楽や楽器を広範に扱っていた。

中国の雅楽は儀式に催される音楽であったが、日本の雅楽で中国から伝わったとされる唐楽の様式は、この雅楽とは無関係で、唐の宴会で演奏されていた燕楽という音楽がもとになっているとされる。

ベトナムの雅楽(nhã nhạc)や韓国に伝わる国楽は中国の雅楽に由来し、日本の雅楽とは異なる。


三韓、渤海の楽は右方の高麗楽として、中国、天竺、林邑などの楽は左方の唐楽として分類された。

唐を経由して伝来したものを左方舞(左舞)と言い、伴奏音楽を唐楽と呼ぶ。 朝鮮半島(高麗)を経由して伝来したものを右方舞(右舞)と言い、伴奏音楽を高麗楽と呼ぶ。

雅楽 – Wikipediaより抜粋

雅楽は日本独自の音楽かと思っていましたが、中国や朝鮮からの影響を受けているようですね。

その雅楽には、雑面(ぞうめん)と呼ばれる仮面を付けて演じられる舞があります。

以下の画像は案摩(あま)と蘇利古(そりこ)で使用される雑面ですが、「三角形=ピラミッド」「三つ巴=666」「ホルスの目」と、悪魔崇拝の象徴ともいえる形状がてんこ盛りです。(画像はこちらのデータを利用させていただきました。)

雑面

天皇家と悪魔崇拝の関係は、以下のリンクをご確認ください。

案摩の由来についてはあまりはっきりとしたことが分かりませんでしたが、蘇利古については百済人によってもたらされたものだそうです。

日本の雅楽の曲名。高麗壱越 (こまいちこつ) 調,小曲に属する。4人舞 (四天王寺では5人舞) 。前奏として意調子が奏される。舞人は雑面 (ぞうめん) をつけ,白楚 (ずわえ) と呼ばれる短い棒を持つ。古来,竈 (かまど) 祭の舞ともいわれ,応神天皇の時代に百済人の須々許理 (すすこり) がもたらしたものともいう。

蘇利古(そりこ)とは – コトバンク

また百済ですか。

歴史の授業では「渡来人は文化や技術を日本にもたらした」と教わりましたが、このように悪魔崇拝も日本に持ち込んでいるわけですね。

石橋の間で会見する明仁

こちらの画像は皇居の石橋の間(しゃっきょうのま)で会見をする明仁ですが、背後の不気味な絵は、能の「石橋(しゃっきょう)」という作品に登場する獅子舞です。

『石橋』(しゃっきょう)は能の作品の一つ。獅子口(獅子の顔をした能面)をつけた後ジテの豪壮な舞が見物、囃子方の緊迫感と迫力を兼ね備えた秘曲が聞き物である。なお後段の獅子の舞については古くは唐楽に由来し、世阿弥の時代には、猿楽や田楽に取り入れられていた。

石橋 (能) – Wikipedia

「石橋」の獅子舞も唐楽に由来するということなので、雅楽だけでなく能楽にも渡来人が関わっているようです。

このように日本の伝統文化とされている雅楽や能楽も、渡来人によって中国や朝鮮から伝えられたものがルーツにあるわけです。

雅楽も能楽も共に国の「重要無形文化財」やユネスコの「無形文化遺産」に登録されていますが、これも天皇を筆頭とする日本の支配者(在日勢力)たちが、自らのルーツである朝鮮の文化を保護するためでしょうか。

また、宮内庁HPでは「、」ではなく「,」を使っていましたが、韓国でも横書き文書で「,」を使うそうです。

読点(とうてん)は句読点の一つで、日本語文書で文の途中の区切りに打たれる約物。 仮想ボディに対して横組では左下に、縦組では右上に位置する。

日本語の縦組文書では文の区切りに専ら「、」が用いられるのに対し、横組文書では「,」(コンマ)が用いられる場合がある。


国語審議会が建議し閣議了解を経て各省庁に通知された1952年の「公用文作成の要領」においては、横組の場合は「,」を用いることとされたが、自治省は1959年の「左横書き文書の作成要領」において「、」を使用するとした。現在でも両方の用例が見られる。

日本工業規格は原則として横組だが、読点にコンマ(,)を用いる。読点(、)は規定に登場しない。

日本では、横書き文書のうち、教科書や参考書のような学術的、教育的なものには多くコンマ(,)が使われる。


中国語では、コンマと「、」を区別する。日本の読点に相当するのはコンマの方で、「、」は「頓号」と呼び、並列に用いる。台湾や香港の中国語の文章では、縦組・横組を問わず、漢字1文字分の字取りの天地左右中央に置かれることが多い。

朝鮮語では、「,」が用いられる。

読点 – Wikipedia

横書きの文章では「,」が用いられる場合もあり、「蘇利古」の引用文はブリタニカ国際大百科事典からのものなので、元が英文の学術書と考えれば、「,」が使用されているのも納得できます。(ブリタニカ・ジャパンのHP自体は「、」を使用しています。)

各省庁のHPやマスコミでも横書きの文章で「、」が使われていますが、学術的・教育的文書や公文書でもない一般的な文章において、「,」を使っているのは、宮内庁と文化庁くらいです。

天皇家と渡来人のつながりを知ると、「宮内庁」「朝鮮」「文化」「伝統」という言葉が揃うと、宮内庁と文化庁が日本語の文章では一般的ではない「,」を使用していることに納得できます。


余談になりますが、手書きで「,」を書く時は、黒丸を書いてから左にはらいます。

ブラウザ上ではフォントの字体によって形状が変わってしまいますが、手書きの「,」の形状や書く時のペン先の動きが、悪魔崇拝者がこだわる「6」や「渦」につながりますね。


ここまで見てきた中で、朝鮮半島からの渡来人の血を引く天皇家は、血筋や文化や伝統というものを重視していることが分かりました。

天皇家に受け継がれてきた朝鮮人の血は、現在は里帰りも果たしているようです。

天皇家の伝統やしきたりと言えば、新たに即位した天皇が行う大嘗祭という儀式があります。

来年は明仁が生前退位し、徳仁が新たな天皇となるわけですが、このような悪魔崇拝儀式が日本国民が納めた税金を使って(27億円とも言われています)行われるということですね。

今回は「天皇が朝鮮からの渡来人の血を引いている」ということをテーマに、天皇家と渡来人が日本もたらした文化について触れてみました。

「桓武天皇の母」や「百済の武寧王」については、機会を改めてまとめてみたいと思います。

不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。

彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

テサロニケ人への第二の手紙 2章9~10節

世の中の悪が全て滅び、あなたに救いがありますように。