全日空(ANA)が成田-ホノルル線に導入した大型旅客機エアバスA380。
機体に特別塗装を施し「空飛ぶウミガメ」という愛称を付けたり、綾瀬はるかを起用したCMを大量に流していることからも、「空飛ぶウミガメ」は全日空にとって特別なプロジェクトだということが分かります。
この「空飛ぶウミガメ」ですが、いろいろと調べていくうちに、「JAL123便墜落事件」に相通ずる点がいくつかありましたので、まとめてみたいと思います。
- 「空飛ぶウミガメ」のデザイン決定までの経緯
- 「空飛ぶウミガメ」と「コンテスト入賞作品」のデザインを比較
- なぜこの時代にエアバス・A380が選ばれたのか?
- 「ANA空飛ぶウミガメ」と「JAL123便墜落事件」
- 「ウミガメ」と「竜宮城」
- 「シャカ(SHAKA)」とイルミナティのハンドサイン
- 墜落させる場所(第二の高天原山)はどこになるのか?
- 艮の金神(国常立尊)と坤の金神(豊雲野尊)
- 「HAWAii」と「COUCHii」 なぜ「ii」だけ小文字なのか?
- 大本の聖地・神島と「みろく」
- 「空飛ぶウミガメ」と安倍晋三
- 全てが満州でつながる
- ANA「空飛ぶウミガメ」と「JAL123便墜落事件」についてのまとめ
「空飛ぶウミガメ」のデザイン決定までの経緯
先ずはエアバス・A380が導入され、ウミガメの塗装が施されることになるまでの経緯を振り返ってみます。
全日本空輸(ANA/NH)は10月3日、2019年春からホノルル路線に投入する総2階建ての超大型機エアバスA380型機の機体デザインコンテストを開催する。大賞に選ばれると、東京-ホノルル線の往復航空券がプレゼントされる。
ANAを傘下に持つANAホールディングス(ANAHD、9202)は、A380の新造機を3機購入。エンジンはロールス・ロイス製トレント900を選定した。
成田や羽田からのホノルル線で運航し、日本時間夜に出発する便に投入。富裕層を含めた旅行需要を狙い、ファーストクラスを設定するが、そのほかのクラス構成や座席数は未定となっている。
コンテストの応募期間は10月7日から11月30日までで、郵送の場合は11月30日必着。プロ・アマ不問で、誰でも応募できる。テーマは「Fly A380 to Honolulu ~ハワイへの想いを翼に乗せて~」で、郵送または特設サイトから応募する。
大賞と入賞作品は、2017年2月に発表予定。大賞受賞者には、東京-ホノルル線ビジネスクラスのペア往復航空券を、入賞者にはANAの記念品が贈られる。
このA380ホノルル路線の機体デザインコンテストと同時期に、「東京五輪の特別塗装機デザインコンテスト」も行われていたようです。
参考比較するために、「東京五輪の特別塗装機デザインコンテスト」についても見ていきたいと思います。
全日本空輸(ANA/NH)は、2020年に東京で開催されるオリンピック・パラリンピック大会に向け、2018年に特別塗装機を国内線に就航させる。この機体デザインを一般公募する。
応募期間は10月7日から11月30日まで。日本在住の人ならプロ・アマ問わず応募できる。テーマは「つなごう世界を、つなごう未来へ HELLO BLUE, HELLO FUTURE ~2020を、みんなの滑走路にしよう~」。郵送(11月30日必着)または特設サイトから応募する。
特別塗装を施す機材は、ボーイング777-200型機の国内線仕様機が1機。
入賞作品はコンテスト事務局が選考し、2017年1月上旬に発表予定。大賞は入賞作品の中から利用者とANA社員による投票で1作品を選ぶ。大賞の投票期間は1月上旬から2月上旬予定で、3月下旬に発表する見込み。
大賞を受賞した人には、ANAの国内線往復航空券をペアで、入賞者には記念品をプレゼントする。
新規購入機と既存の機体とではプロジェクトの規模も違うため一概には言えませんが、A380の方は選考方法についての詳細は明かされていません。
- 「A380の機体デザインコンテスト」 - 大賞と入賞作品は、2017年2月に発表予定。
- 「東京五輪の特別塗装機デザインコンテスト」 - 入賞作品はコンテスト事務局が選考し、2017年1月上旬に発表予定。大賞は入賞作品の中から利用者とANA社員による投票で1作品を選ぶ。大賞の投票期間は1月上旬から2月上旬予定で、3月下旬に発表する見込み。
「東京五輪の特別塗装機デザインコンテスト」では、途中で応募デザインの中から5案に絞られ、実際にインターネット投票も行われた模様です。
全日本空輸(ANA/NH)は1月23日、2020年に東京で開催されるオリンピック・パラリンピック大会に向け、2018年に就航させる特別塗装機のデザインについて、インターネット投票の受付を開始した。
特別塗装を施す機材は、国内線仕様のボーイング777-200型機1機。2016年10月7日から11月30日にかけて応募があった786作品の中から、ANAの選考委員が選考会を開き、入賞5作品を選んだ。
募集作品のテーマは「つなごう世界を、つなごう未来へ HELLO BLUE, HELLO FUTURE ~2020を、みんなの滑走路にしよう~」。1月23日からのインターネット投票では、利用者とANA社員による投票を1人1作品受け付け、入賞した5作品の中から大賞1作品を選ぶ。
投票期間は2月19日までで、4月1日に大賞を発表する。
そして「A380の機体デザインコンテスト」では既報の通りに選考方法が不明瞭なまま、「空飛ぶウミガメ」が採用デザインとして発表された模様です。
○A380型機 特別塗装機が「FLYING HONU」に決定!
このプレスリリースを受けて各メディアが「空飛ぶウミガメ」の記事を出しています。
全日本空輸(ANA/NH)をはじめとするANAグループは3月6日、2019年春に就航予定の超大型機エアバスA380型機の特別塗装デザインを発表した。2016年10月の弊紙既報の通り、成田-ホノルル線に投入する。
増岡さん(左)がデザインしたANAのA380特別塗装機「FLYING HONU」の模型=17年3月6日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation WireANAを傘下に持つ持株会社のANAホールディングス(ANAHD、9202)は、A380の新造機を3機導入。エンジンはロールス・ロイス製トレント900を選定した。座席数は500席から600席の間で検討を進めている。
ファーストクラスを設定すると共に、家族連れを意識した内装を取り入れ、成田を夜出発してホノルルへ昼前に到着する便に投入する。ANAグループは、日本で初めてA380を運航する航空会社となる。
A380の特別塗装デザインをお披露目する(右から)ANAの篠辺社長、デザインした増岡さん、ハワイ・ツーリズム・オーソリティのランディ・バルデモアCOO=17年3月6日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire特別塗装は全機に施す。今回公開されたのは初号機のもので、デザインを2016年10月7日から11月30日まで募集。世界各国から2197作品の応募があり、東京都の自営業・増岡千啓(ちひろ)さんのデザインが大賞に選ばれた。
増岡さんは「ウミガメの家族」をコンセプトに、ハワイの青い海で、ゆったりとくつろぐウミガメの親子を描いた。「妻が応募していたのを見て、別々に応募した。妻も喜んでくれた」と話す増岡さんには、東京-ハワイ線ビジネスクラスのペア航空券がプレゼントされた。
ウミガメはハワイ語で「ホヌ」の愛称で親しまれ、ハワイでは神聖な生き物とされている。ウミガメを見ることが出来ると、幸福や繁栄が訪れると言われていることから、ANAでは特別塗装機の愛称を「空飛ぶウミガメ」の意味を持つ「FLYING HONU(フライング・ホヌ)」と名付けた。
ANAの篠辺修社長は「2000を超える応募のうち、4割が海外からだった。カメは万年生きるので、いいかなと思った。ハワイでは神聖なものとされており、日本もそうなので良いのではないか」と、選定理由を説明した。
世界最大のA380運航会社である中東のエミレーツ航空(UAE/EK)では、3クラス489席(ファースト14席、ビジネス76席、エコノミー399席)、2クラス615席(ビジネス58席、エコノミー557席)の機材を運航している。
特別塗装のA380「FLYING HONU」の模型を手にシャカのポーズをとるANAの篠辺社長(右から2人目)ら=17年3月6日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wireシートなど、A380の内装について篠辺社長は、「まだ固まっていないので、(発表は)早くても年末か1年後くらいになるのでは」と述べ、「コンセプトはファミリーを意識し、既存の飛行機では用意できなかったものをご用意したい」と語り、家族向けのシートを投入する考えを示した。
ファーストクラスについては、「入れる。(以前の計画と比べて)どのくらい変化しているかは、お待ちいただきたい」(篠辺社長)と述べるに留めた。
特別塗装は、3機すべてに施すという。「3つとも同じかどうかは、若干幅を持たせた」と篠辺社長は語り、初号機のデザインを基に、3機が異なる塗装になる可能性もあるという。
「A380の機体デザインコンテスト」も募集開始時の情報では大賞と入賞作品は、2017年2月に発表予定
と記載されていますが、東京五輪の方とは違い途中経過が公表されることはなく、いきなり特別塗装デザインとして「空飛ぶウミガメ」が発表されています。
改めて「A380の機体デザインコンテスト」の関連情報を探してみても、それらしい記事は見当たりません。
そこでGoogleで他のニュースサイトに「A380の機体デザインコンテスト」の入賞作品や選考の途中経過に関する情報を探してみましたが、残念ながら有力な情報を見つけることができませんでした。
そこでふと「本当に応募作品の中から空飛ぶウミガメが選ばれたのだろうか?」という疑問が生じてきました。
「空飛ぶウミガメ」と「コンテスト入賞作品」のデザインを比較
生じた疑問を晴らすべく、「空飛ぶウミガメ」と「コンテスト入賞作品」の応募作品とを比較してみましたが、そのデザインのレベルは全く次元が違うものでした。
完成された「空飛ぶウミガメ」のデザインと比べると、他の入賞作品は応募用フォーマットの平面的な機体の側面という限られた範囲内で頑張りました、というデザインです。
他の入賞作品の方は細かく描いてはいるものの、逆に煩雑で見難くなっているところなどに素人っぽさを感じさせます。
芸術的センスのない私が失礼を承知で言わせていただくと、入賞作品が「このレベルで入賞?」と思ってしまうくらい、「空飛ぶウミガメ」は無駄なくすっきりとまとまった完成度が高いデザインだと思います。
また、実際にA380の機体デザインコンテストに参加された方がブログに感想を残していましたので、そちらも見てみましょう。
A380型機導入記念・機体デザインコンテストの塗り絵を、私も野次馬根性で少しやってみました。
まずは、ベースにするANAプロパー塗装を作ったところです。機体側面だけで腹面やエンジンポッドは対象外のようですので、あまり込み入ったデザインは出来そうもありません。
エンジンポッドは勝手に付け足したもの、ドアと窓はマーカー代りに入れたもので、位置・大きさは正確ではありません。
応募要項に著作権関係のいろいろな事柄が書かれており、フリーフォントの使用にも気をつかいそうです。面白い企画かとは思いますが、面倒なことはすべて応募者の責任…、なんか、随分と虫のいいことが書かれてありました。
この機体側面に描画する形式の応募シートだと、限定された平面の枠内に収めようとする意識が働き、デザインの発想にも制限がかかってしまいそうです。
その他にも著作権関係などにも細かな制約があったそうですから、あえて応募し難くしているようにも思えてきます。
一般の方が色々と制約を掛けられると、どこまで自由にデザインして良いのかという迷いが生じ、思い切ったデザインにすることは躊躇してしまうためか、この方も尾翼が既存の機体と同じものになっています。
「A380の機体デザインコンテスト」と同時期に行なわれた「東京五輪の特別塗装機デザインコンテスト」の入賞5案もご覧ください。
ANAが18年に就航させる特別塗装機の入賞5案(同社資料から)
ちなみに「東京五輪の特別塗装機デザインコンテスト」の大賞作品はこちらになります。
全日本空輸(ANA/NH)は1月28日、東京オリンピック・パラリンピックに向けた特別塗装機「HELLO 2020 JET」(ボーイング777-200ER型機、登録番号JA741A)を羽田空港の格納庫でお披露目した。初便は29日の羽田発福岡行きNH243便で、大会終了まで国内線に投入する。
HELLO 2020 JETのデザインは、一般公募786作品の中からANAの選考委員が入賞5作品を選出。5作品のうち、神戸市の松本朝陽さん(16、応募当時中学3年生)のデザインが、インターネット投票で大賞に選ばれた。日本らしさを強調し、ゴルフや野球、テニスなど各種目のシルエットのほか、富士山やサクラ、東京タワーなど、日本の代表的な自然や建物をデザインした。
伊丹空港で塗装を終えたANAのHELLO 2020 JET=18年1月27日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire
羽田空港の格納庫でHELLO 2020 JETをデザインした松本朝陽さん(右)にサイン入り模型を手渡す福原愛選手=18年1月28日 PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire
大賞に選ばれた作品が視線誘導で一番印象に残るとされている左上に配置されていることにも何か作為的な感じがします。
そこで試しに位置を入れ替えてみました
位置を入れ替えただけで印象が変わりませんか?
一番派手な大賞のデザインが左上の位置にあると、その後に見ることになる他の作品が地味に感じてしまいますが、位置を変えると他の作品のシンプルさと比べ、大賞のデザインはごちゃごちゃした印象が強くなります。
このように主催者側が投票者の心理を巧みに利用すれば、投票結果を主催者の都合が良いものに誘導することもできるということですね。
そして「黄色」といえば李家のシンボルカラー。
ここにも何かきな臭さを感じます。
話が逸れてしまいましたが、改めて「空飛ぶウミガメ」のデザインを見てみましょう。
機体を立体的に使ってデザインしている点や色の濃淡の使い分けなど、完全に完成度の次元が違います。
あの応募シートでこのデザインを思いつくことができると思いますか?
しかも3機色違いでデザインを用意しているとのこと。
用意周到に3デザインが準備されたANA A380 空飛ぶウミガメ
A380の機体デザインコンテストの募集要項では「プロ・アマ不問」とのことでしたので、「空飛ぶウミガメ」をデザインされた増岡千啓さんはプロのイラストレーターやデザイナーの可能性もあり得ます。
増岡さんの風貌もどことなくアーティストっぽい感じもしますしね。
そのうえ増岡さんは自営業ということでしたで、「フリーランスならHPくらい持っているはず」と、試しに「増岡千啓」で検索してみました。
そして検索結果として表示されたのが以下のサイトです。
株式会社エムテージャパングループの業務内容
株式会社エムテージャパングループの会社概要
何と増岡さんは「自営業」ではなく、資本金6000万円のコンサルティング会社の「経営者」だったようです。
そうなると、デザインのプロでもない人があそこまで完成度が高い「空飛ぶウミガメ」のデザインをすることができるのか?という疑問が再燃します。
しかもエムテージャパングループの業務内容や取引先を見ると、客室乗務員の教育などに関わっているようですので、ANAとも業務的につながりがありそうです。
疑惑が晴れるどころか増々深まってしまいました。
気になったついでにエムテージャパングループの住所を検索してみたところ…
○Google マップ | 〒167-0054 東京都杉並区松庵1丁目12−12
住宅街の一軒家です。
拡大してみると。
ラベルライターの様なもので「増岡千啓」「株式会社エムテージャパングループ」と印字されたテープが貼られていますね。
ちなみに株式会社エムテージャパングループは2019年1月に千葉県の柏市に所在地が変更になっているようです。
○参考情報:株式会社エムテージャパングループの企業情報(千葉県柏市)|全国法人情報データベース
1ページだけのHPで、所在地が東京都杉並区から千葉県柏市に移転しても住所と連絡先の表示は変更されずにそのまま…
都内から千葉県に移転しているにもかかわらず、メールフォームもなく、メールアドレスも表示されていないHPで、電話もFAXも移転前の番号を表示したままで業務に支障が出ないのでしょうか?
ペーパーカンパニー?という疑問も残りますが、増岡さん個人のことをあれこれ詮索することは趣旨から外れますので、これくらいにしておきます。
とりあえず「空飛ぶウミガメ」のデザイン選考に関して、不可解なことが多いということはご理解いただけたかと思います。
なぜこの時代にエアバス・A380が選ばれたのか?
現代の航空業界は中型で燃費が良い双発機が主流となっており、かつて「ジャンボジェット」の愛称で親しまれたボーイング・747やエアバス・A380のような大型で燃費が悪い四発機は現役から退きつつあります。
実際にANAがエアバス社にA380を発注した際も2年近く受注がなかったようです。
ANAホールディングス(9202)が、エアバスの総2階建ての超大型機A380を3機導入する方針を固めた。1月中に発表する2016年度からの中期経営計画とともに発表するとみられる。
導入路線はハワイ線が最有力候補として挙っており、日本航空(JAL/JL、9201)の牙城に500席以上の機材で勝負に出る。いわば、A380がハワイ路線の“ゲームチェンジャー”となる可能性があるわけだ。スカイマークが導入に頓挫したため、実現すれば日本の航空会社では初導入となる。そして、2年近く発注がないA380が、久々に受注を獲得することになる。
その間ボーイング・747は受注がなくなり生産中止が発表され、エアバス・A380もキャンセルが続出し、2021年には生産が終了する見込みです。
エアバスは現地時間2月14日、総2階建て大型機A380型機の引き渡しを2021年で終了すると発表した。A380の最大顧客であるエミレーツ航空(UAE/EK)が、受注残のうち39機をキャンセルすることに伴うもの。エミレーツはキャンセルし、A330-900を40機、A350-900を30機発注する。エミレーツが両機材を発注するのは初めて。
エミレーツは1月末現在、A380を162機を発注済みで、109機を受領している。受領待ちとなっていた53機のうち39機をキャンセルし、発注量を162機から123機に減少。注残となる14機は、2021年までに受領する。
エアバスのトム・エンダースCEO(最高経営責任者)は、14日の声明で「他社からの受注残はほとんどなく、生産を維持する基盤もない」と説明。2021年の引き渡しで終了するとした。
今年1月末時点の受注リストによると、A380はエミレーツなど16社から313機受注し、234機が引き渡し済み。受注残は79機となっている。
日本では、ANAホールディングス(ANAHD、9202)が3機発注済み。3月に初号機(登録記号JA381A)を受領し、傘下の全日本空輸(ANA/NH)が5月から成田-ホノルル線に投入する。
経営的に燃料費や維持コストがかかるA380を導入して採算が合うのかと思いますが、「空飛ぶウミガメ」のデザインを発表した際のANAの篠辺社長のコメントが以下になります。
ANAのハワイ路線は、成田-ホノルル線が1日2往復と、羽田-ホノルル線が1日1往復の計3往復。一方、競合の日本航空(JAL/JL、9201)は、東京-ホノルル線を1日4往復、関西と中部からホノルル線を1日1往復ずつと、2倍の便数を運航している。JALの牙城であるハワイに500席以上の機材を導入することで、勝負に出る。
篠辺社長は「ロードファクター(座席利用率)は、どれも9割とよく乗っていただいている。提供座席数のシェアは小さいので、A380を3機入れても十分乗っていただける」と語った。
一方、ハワイ路線の特典航空券が取りにくい、という声がマイルを貯めている利用者から寄せられていることについて、「増便しても200席くらいでは全然足らないので、こういう飛行機を入れることにした」(篠辺社長)と話し、マイル会員へのサービス改善につなげる姿勢を示した。
また、提供座席数が大幅に増えることで客単価の下落につながるのではとの見方については、「一番身近な例でJALさんと比べると、3分の1にも達してない。A380が全機入っても、JALさんには届かないはずで、供給過多の手前だと思う」と語った。
投入路線について、篠辺社長は「成田-ホノルル線から。羽田は滑走路など制約がある」と述べた。
ANAのA380、デザインは「空飛ぶウミガメ」 成田-ホノルル19年就航
ANAが成田・羽田という関東圏の空港しかないのに対し、JALは関西圏・中部圏の人も利用できるので、ただ単に座席数が多いA380を投入したからといって、そのまま単純に数字に跳ね返ってくるものでしょうか?
そうなると気になるのが、A380と他の旅客機との座席数の違いです。
旅客機の市場は大別すると2つある。座席数が100席以上の市場と、100席未満の市場だ。後者は三菱航空機が開発中の「MRJ」のような、リージョナル機と呼ばれる分野で、地方と地方を結ぶ比較的距離が短い路線に投入される。
一方、世界2強のボーイングとエアバスが製造しているのは、100席以上の旅客機だ。ボーイングであれば737、エアバスはA320が小型機に分類され、120席から200席程度の席数になる。ボーイング767などの中型機が300席前後、ボーイング777などの大型機が400席から500席となる。
これが787の場合、標準型の787-8であれば300席クラスだが、胴体を6メートル延長した787-9は400席クラスと、従来であれば中型機と大型機で別の機種だったものが、同じシリーズのサイズ違いで作られるようになった。ボーイングでは、さらに胴体を延長した787シリーズ最大の787-10も開発中だ。
大型機を上回るのが超大型機となる747やA380で、A380は4クラスで544席、エコノミークラスだけを並べれば853席にもなる。
現在の航空機の主流となっている双発の中型機が300席前後、大型機も400席から500席ほどの輸送力があるわけですね。
そして、ANAは当初A380の座席数を500席から600席の間で決めるというコメントを出していました。
500席以上の機体となるとボーイング747かエアバスA380の二択となり、そうなると設計が新しいA380が選ばれるのは必然的ともいえます。
ちなみに以下のリンク先の情報を参考にすると、JALのハワイ便の通常運航は1日4便ある成田発が767で、また関西と中部は777と787-9で行われており、繁忙期である年末年始に成田発に大型機の777が投入されるようです。
○JAL東京/中部/関西-ハワイ線 機材と座席表の情報 (2018年9月~2019年3月)
そこで気になる「空飛ぶウミガメ」A380の座席数ですが、なんとも微妙な数の520席になります。
「520」という500を僅かに上回る席数なら、777あたりでも良さそうな気がしますが、どうでしょうか。
また、座席に対するコメントとして、この様な記事も見られました。
【2019年5月24日就航】ANAのエアバスA380ハワイ行きは恐怖の1階席オールエコノミー仕様
この記事では、まもなくハワイに向けて飛ぶANAのエアバスA380の中でも、もっとも多くの座席数である「エコノミークラス」に焦点を当てて、注目してみたいと思います。
ぶっちゃけ、マスコミは良いようにしか言ってません、書いていません。
マイナス点もうまくぼかして、ANAにすり寄った記事になっています。
あなたはANAのエアバスA380に乗って、本当にハワイに行きたいですか?
ANAのエアバスA380のエコノミークラスは、すべて1階席に集約されています。
全383席が、3-4-3のレイアウトでビッシリと並んでいます。
まぁまぁのすし詰め状態ですね。「現代の奴隷船」と揶揄する声もあるとかないとか。
ちなみに成田~ホノルルの飛行時間は、行きが約7時間半で、帰りが約8時間半です。
かつてはジャンボジェットと呼ばれたボーイング747が、このエアバスA380と同様に、3-4-3のシート配置を採用していましたので、このギュウギュウ具合に懐かしさを覚える人もいるかもしれませんね。
エコノミークラスよりも上のクラス、ファーストクラス、ビジネスクラス、プレミアムエコノミーは全て2階席にあります。
このクラス配置は、「まさに階級制度そのもの」というのが個人的な感想です。
下より上が偉い、後ろより前が偉い。
そのシート位置で明確に、立場を現しているというか、そんな感じがします。
では「現代の奴隷船」といわれる下級国民向けの1階席と上級国民向けの2階席比べてみましょう。
上級国民向け2階席の下には、「ゆとり」を微塵も感じさせない庶民向けエコノミー席
ゆとりのある520席!
と自慢げに謳っていますが、1階と2階を見比べれば一目瞭然、1階のエコノミー席は隙間なく幅が狭いシートがびっしりと並べられています。
ゆとりがあるのは2階の137席だけで、1階の383席にはどこにもゆとりを感じることなどできません。
また、同条件ならまだしも、このように明確に条件が違うクラスを一緒くたにして520席!
と殊更「520」という数字を強調するのは何故でしょうか?
乗客からしてみれば、よほどの飛行機マニアでもない限り、自分が搭乗する機体が何人乗りだろうが、そんなことを一々気にして乗る人はいないと思いますが、実はこの「520」という数字が「JAL123便墜落事件」の犠牲者数と同じ数なのです。
普通に考えて史上稀に見る航空機事故とされる曰く付きの数を、縁起を担いだり、ジンクスを気にする風習がある日本人が敢て採用するでしょうか?
同じ業界内で起きた大惨事について関係者の誰も知らないということはありえません。
最も事故を起こしてはいけない業界の一つでありながら、「縁起が悪いから520はやめておこう」といった意見の一つも出なかったのでしょうか?
このように、時代錯誤的な超大型機であるA380が採用されたのも、意図的に「JAL123便墜落事件」の犠牲者数「520名」と同じ「520席」を確保するためだといえるのではないでしょうか。
JALのシンボルマークが「鶴丸」であり、ANAが「空飛ぶウミガメ」のデザインを採用したことにより、私が単純に「鶴」と「亀」を関連付け、何か言い掛かりめいたことを喚いていると思っておられる方もおられるかもしれません。
そんなあなたの疑問を晴らすべく、次はANAがこの様な茶番劇を演じてまで注力するプロジェクト「空飛ぶウミガメ」と「JAL123便墜落事件」についての関連性について見ていきたいと思います。
「ANA空飛ぶウミガメ」と「JAL123便墜落事件」
「JAL123便墜落事件」について説明すると更に長くなってしまいますので、事件の詳細は以下のページにてご確認ください。
JAL123便の墜落現場である群馬県多野郡上野村の高天原山には520体の石仏が設置されており、その520体の石仏に520人の御霊(みたま)が入った瞬間、国常立尊が蘇えるという伝説がある場所でした。
この国常立尊という神はあまり聞き馴染みがない方もおられるかもしれませんので、簡単に説明させていただきます。
『古事記』では国之常立神、『日本書紀』では国常立尊(くにのとこたちのみこと)と表記される。別名を国底立尊(くにのそこたちのみこと)ともいう。
『古事記』において神世七代の最初の神とされ、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対をなし、独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記される。『日本書紀』本文では天地開闢の際に出現した最初の神としており、「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記している。他の一書においても、最初か2番目に現れた神となっている。『記紀』ともに、それ以降の具体的な説話はない。
神名の「国之常立」は、「国」を「国土」、「常」を「永久」と解し、名義は「国土が永久に立ち続けること」とする説や、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説など諸説ある。
『古事記』と『日本書紀』にその名が出てくるだけで、後世のほとんどの日本人から忘れられた存在であった国常立尊ですが、明治になって信仰の対象として拝む新興宗教・大本が現れました。
この大本は神道系の宗教でありながら、神道の最高神である天照大神ではなくその上位神である国常立尊を主神として拝んでいたため、当時現人神として日本を統治していた天皇の宗教的権威を脅かしかねないという理由もあり、大正から昭和の初期にかけて国から大本事件と呼ばれる弾圧を受けることになります。
そのような経緯もあり、信者の中には大本から独立し新たに新興宗教を設立する者が現れ、心霊科学研究会、神道天行居、生長の家、世界救世教、三五教などの宗教が新たに誕生することになりました。
その520体の石仏に520人の御霊が入ることで国常立尊が蘇るという伝説がある高天原山に「JAL123便」が墜落し、事故という偶然の出来事にしてはあまりにも出来過ぎともいえる520名の尊い命が失われることになります。
そしてこの「JAL123便墜落事件」の真相を「墓場まで持って行く」と公言しているのが、時の内閣総理大臣・中曽根康弘です。
◯JAL123便墜落事故の真実を「墓場まで持っていく」と言った中曽根康弘こそ、JAL123便撃墜の首謀者ではないのか。
この中曽根康弘ですが、国常立尊を現代に復活させたともいえる大本教から派生した生長の家の創始者である谷口雅春の著書「生命の實相」を愛読しておりました。
生長の家の《生命の實相哲学》は、私は学生時代から読んでおりまして、私に対しまして非常にいいことを教えてくれた教えであると思っています。その後におきましても、いろいろ宗教を模索しております。
学生のころからやっぱり皆さんと同じように神様を求めながら神様を否定しているようなところがある。そういうようなとこもあったりして、いろいろ遍歴しているわけでございます。
その中におきましても、『生命の實相』という哲学は、日本人がつくった哲学の中では昭和世代においては非常にりっぱな、出色したお考えであると思っています。そういうわけで、私は生長の家という集団に対しましても、かねてから敬愛の念を持っているわけでございます。
その中曽根康弘が愛読し絶賛している「生命の實相」の表紙がこちらです。
JAL123便墜落事件と深い関わりがある、生長の家の聖典「生命の實相」
何故こんな古い本の表紙を持ち出してきたかと申しますと、「JAL123便墜落事件」と「ANA A380 空飛ぶウミガメ」との関連性が「生命の實相」の表紙から読み解くことができるからです。
もう先ほどの画像でお気付きの方もおられるとは思いますが、改めて「生命の實相」の表紙を見てみましょう。
「生命の實相」の表紙に描かれた鶴と亀
波に紛れて見難いため「亀」とは分り難いかもしれませんが、「生命の實相」の表紙には「鶴」と「亀」が描かれています。
ここで「JAL=鶴」と「ANA=亀」という構図が見えてきました。
ここで一度、これまで見てきことを簡単にまとめておきます。
- 「520」⇒520体の石仏に520人の御霊が入ることで蘇るという伝説がある「国常立尊」
- 「鶴」と「亀」が「生命の實相」の表紙に描かれている
- 「JAL123便墜落事件」に深く関与していると思われる「中曽根康弘」は学生時代から「生命の實相」を愛読
- 「生命の實相」を聖典とする「生長の家」は「国常立尊」を主神として拝む「大本教」から派生した宗教
これらのキーワードが揃ってくると、「空飛ぶウミガメ」と「JAL123便墜落事件」には全く関連性はないとは言い切れなさそうです。
ここまでは既出の情報を収集してまとめたものに過ぎませんので、ここからは私が疑問に感じた点を調査し、もう少し掘り下げて見ていきたいと思います。
「ウミガメ」と「竜宮城」
「なぜ空を飛ぶ飛行機にウミガメの絵?」と普通の人なら疑問に感じるはずだと思いますので、「空飛ぶウミガメ」をデザインした増岡さんのコメントを見てみましょう。
ハワイのイメージは「竜宮城」
ANA(全日空)が日本の航空会社として初めて導入し、2019年春に東京~ホノルル線で運航を開始する予定の超大型旅客機エアバスA380型機。それを記念した機体デザインコンテストの大賞が2017年3月6日(月)、発表されました。
世界中から寄せられた2197作品より大賞に選ばれたのは、「ウミガメの家族」をコンセプトに「ハワイの青い海でゆったりとくつろぐホヌ(ウミガメ)の親子」を描いた、東京都の増岡千啓(ますおかちひろ)さんの作品。この特別塗装が施されたA380型機、愛称「FLYNG HONU」が2019年春より東京~ホノルル線で運航される予定です。
「早く実際にペイントされた機体を見て、『でっかいカメ』を実感できたらと思います」(大賞の増岡千啓さん)
大賞に選ばれた増岡さんにとって、ハワイのイメージは青い空、青い海、まるで「竜宮城」のようなところといい、シュノーケリングでウミガメを見たことが一番大きなハワイの思い出とのこと。そこから今回、「竜宮城」へ連れて行ってくれる「カメ」を、ホノルル線へ就航するA380型機にデザインしたといいます。
シュノーケリングでウミガメを見たことが一番大きなハワイの思い出
というところで止めておけば、ハワイで神聖な動物とされているHonu(ホヌ=ウミガメ)をデザインしたと言われれば納得させられてしまいそうです。
しかし、増岡さんのコメントではハワイのイメージは青い空、青い海、まるで「竜宮城」のようなところ
、「竜宮城」へ連れて行ってくれる「カメ」
と、まるでハワイよりも「竜宮城」を意識して「空飛ぶウミガメ」がデザインされたかのように思われます。
「竜宮城は海の中なので青い空はないんですけど…」「増岡さんは竜宮城に行ったことがあるんですか?」と増岡さんに質問してみたいところです。
少なくとも私にはハワイと「竜宮城」は結び付きませんし、「竜宮城」というと「タイやヒラメの舞い踊り」とあるように、「竜宮城」には色々な魚がたくさんいるイメージがあり、「竜宮城=ウミガメ」という発想にはなりません。
また「浦島太郎」の結末を知っている人なら、「竜宮城」へ連れて行ってくれる
と聞いてもあまり心がときめかないのではないでしょうか。
このように「竜宮城」が企画のコンセプトにある「空飛ぶウミガメ」ですが、「JAL123便墜落事件」に深く関わっているとみられる「生長の家」の総本山が龍宮住吉本宮といいます。
生長の家総本山(せいちょうのいえそうほんざん)は長崎県西海市にある龍宮住吉本宮(りゅうぐうすみよしほんぐう)を中心とする生長の家の総本山。祭神は住吉大神。
「空飛ぶウミガメ」に関する気になるワードとして「竜宮城」について調べていただけでしたが、またしても「生長の家」につながってしまいました。
ここで「竜宮城」ではなく「龍宮」のWikipediaを見てみると、関連事項に「金吾龍神社」とありました。
金吾龍神社
金吾龍神社(きんごりゅうじんじゃ)は、北海道小樽市蘭島に鎮座する神社。日本最古の龍神が鎮座されている。旧社格は無格社。
主祭神に大元尊神(だいげんそんしん)。国常立尊(くにとこたちのみこと)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、綿津見神(わだつみのかみ)の三神を配祀に、荒波々幾大神(あらはばきのおおかみ)を奥宮とする。
大元尊神は「大元」という名の元、万神より最初にいる「神のはじめの神」であり、宇宙、自然、摂理、天地万物を創造し育んでいる根源神とされ、荒波々幾大神は太古から信仰された謎の多い神として、太陽、月、大地、生命力を司る龍神といわれている。
フゴッペ岬にある西崎山の尾根に鎮座しており、小樽市と余市町の境に位置している。古代から聖地とされ、周辺にはストーンサークル、フゴッペ洞窟(壁画)、貝塚や多くの集落がある日本でも数少ない縄文遺跡が集まる地として知られている。創建年は不詳であり、境内から出土した祭祀用の縄文土器などの分析から、約5000年以上前に祭祀が行われていたと考えられている。
縄文時代の磐座信仰から始まり、中世にチャシが築かれ、江戸時代には神仏習合を背景に祠堂が置かれた。明治時代に入ると、祠堂は廃仏毀釈で滅尽したが、やがて教派神道の一派となり、再び拝殿が建てられた。
ここでもまた「国常立尊」の名前が出てきました。
また、「大元尊神」で検索してみると、「国常立尊」や「荒波々幾大神」や「天之御中主神」の名前が出てくることから、これらの神は全て同一の存在のようです。
「国常立尊」と「天之御中主神」が同一神であるということについては、こちらでご確認ください。
◯RAPT×読者対談〈第94弾〉大震災は天皇家一族(イルミナティ)のボロ儲けの種。
「シャカ(SHAKA)」とイルミナティのハンドサイン
特別塗装のA380「FLYING HONU」の模型を手にシャカのポーズをとるANAの篠辺社長
こちらの画像の説明では、ハワイで挨拶する時に使われる「シャカ(SHAKA)」といわれるハンドサインだということになっていますが、イルミナティが「ハンドサイン」を使いサタンに忠誠を示すことも良く知られているところです。
「コルナ」サイン以外にもイルミナティがよく用いるハンドサインがあります。
「シャカ(SHAKA)」は「子(アスタロス)と」というハンドサインと同じですね。
特に「コルナ」サインは手話で「アイラブユー」を意味するとされているため、権力者や有名人といったイルミナティメンバーが、その真の意味を知らない庶民の前で堂々とサタンに忠誠を示す際に用いられているようです。
サタンと同じコルナサインを下々の民に向けて誇らしげに掲げる徳仁
「父(ルシファー)よ、あなたに忠誠を尽くします」ということですね。
この「コルナ」サイン以外では「666」のサインもよく有名人が使っているのを見かけますね。
イルミナティ(李家)・安倍晋三も「666」
「翔んで埼玉」は公開日も「2月22日」(2+2+2=6)
「666」と「プロビデンスの目」の組み合わせ
「ジンギスカン」の替え歌が気になったのでよく見てみたら、このCMも「666」でした。
孫正義(李家)のY!mobileも「666」
このCMの出演者(出川哲郎・芦田愛菜・吉岡里帆・真矢ミキ)について調べると、親や親族が会社経営者もしくは大企業の重役という情報が出てきます。
上級国民が道化を演じつつ庶民に「格安スマホ」を売り込み、庶民から巻き上げた富を上級国民の間で再分配する日本の支配構造が良く分かるCMですね。
新CMも「666」
悪魔の数字「666」にこだわる孫正義は、悪魔を拝んでいるだけあってやることも悪どいです。
○ソフトバンク、利益1兆円でも「法人税ゼロ円」発覚…孫正義氏の年間配当100億円
○「アスクル」乗っ取りに隠された「ヤフー」の陰謀 見た目の利益を膨らませたいソフトバンクの圧力が背景に
また少し脱線します。
先ほど東京オリンピック・パラリンピック特別塗装機「HELLO 2020 JET」のデザインのところで「李家」について軽く触れましたが、孫正義も「李家」の血筋を引く人物のようです。
「あんぽん」(amazon 258円w)より。
孫正義 系図 父方:始祖・孫凝
父方祖母:李元照 母:国本(李)玉子は
父方祖父:李嶋鳳(国本太郎) 李家について
http://kawata2018.com/2019-03/
朝鮮の李氏は本貫ごとに「○○李氏」と細かく分かれていて日本人には理解しにくい部分がありますが、李氏朝鮮の王家「全州李氏」の家紋が以下の「李花紋」になります。
「李花紋」は一見すると梅の花の様に見えますが、Wikipediaによると全州李氏を象徴する花である李花(スモモの花)を図案化している
ということです。
全州李氏の関係者は「李花紋」の黄色をイメージカラーとして使用することが多いようです。
ちなみに、三浦さんによると、安倍晋三首相の勝ちカラーも「黄」。安倍首相に黄色のイメージはあまりなかったが、首相官邸のホームページで歴代内閣を紹介するプロフィルに使われている安倍首相の写真は、確かに黄色地に細い青線のしま模様ネクタイを身につけていた。重要な外交の場面などでも、この黄色いネクタイを締める場面がよく見られた。
李氏朝鮮王朝の末裔・安倍晋三は重要な場面で「李花紋」と同じ黄色いネクタイを着用
話を孫正義に戻すと、福岡ソフトバンクホークスも黄色がイメージカラーでした。
黄色に黄色を合わせるのはデザイン的にどうなんですかね?
こちらも黄色ですね
ソフトバンク(孫正義)の黄色へのこだわり方は半端ないですね。
そしてY!mobileのCMを見てみると芦田愛菜ちゃん(黄色)がフィーチャーされていますね。
李家(黄色)が主役という意味でしょうか?
おまけ
また、Y!mobileのCMで「イチョンパ、イチョンパ」とうるさいので、試しに「イチョンパ」で検索すると、「UQモバイル」のCM画像が検索結果に表示されるので調べてみたところ、UQモバイルの主要株主に「KDDI」と「京セラ」の名前がありました。
「京セラ」「KDDI」といえば稲盛和夫ですが、この人も中曽根康弘と同じく「生命の實相」から強い影響を受けた一人です。
そして孫正義はその稲盛和夫が塾長を務める「盛和塾」で学んだ経営者の一人、ということで何気なく調べたことでもまた生長の家につながってしまいました。
ちなみに「イチョンパ(이천팔)」は朝鮮語で「2008」という意味だそうです。
Y!mobileのCMのつながりから孫正義に関連する事柄を挙げてみましたが、これだけでも「ハンドサイン」や「イメージカラー」など、イルミナティが様々な「シンボル」にこだわっていることがよく分かりますね。
ここまでいくつかのイルミナティのハンドサインを見てきましたが、「シャカ(SHAKA)」と同じハンドサインは、中国では数字の「6」を表すそうです。
「6」といえば悪魔の数字ですが、このことを踏まえて改めて「空飛ぶウミガメ」のデザイン発表会の様子を見てみましょう。
全員でポーズを決めての記念撮影かと思いきや、そうではありませんでした。
三人が「6」を表すハンドサインをして「666」としているところに意図的なものを感じさせます。
JALは「123=ひふみ」でANAは「666=みろく」ということでしょうか。
◯RAPT×読者対談〈第80弾〉阪神大震災と原発再稼動と西南戦争を結ぶ中央構造線の謎。
(公開前の校正段階になって気が付いたことなので若干こじつけ気味になりますが、墜落したJAL123便の機体はボーイング747ですので、「7+4+7=18」でこちらも「みろく」でした。)
墜落させる場所(第二の高天原山)はどこになるのか?
「空飛ぶウミガメ」に関する情報の調査を進める中で、「JAL123便墜落事件」につながる要素がいくつか収集できたところで、私の心の中に「今度はどこに墜落させるのだろうか?」という考えが湧いてきました。
ただし漠然と推理するだけでは徒労に終わるので、調査するターゲットを絞ってみました。
- 海上(太平洋)のどこか
- 関西方面の国常立尊に関連する山
「海上」は言うまでもなく「ウミガメ」「竜宮城」というキーワードが理由になります。
「関西方面の国常立尊に関連する山」は「JAL123便」が高天原山(群馬県)だったことに加え、イルミナティたちが関西方面に遷都を計画しているということが理由になります。
◯RAPT×読者対談〈第81弾〉ジョン・タイターが予言した三つに分断された日本。
先ず「海上」で考えてみましたが、最初は日本とハワイの間の太平洋上と考えていたため、なかなか関連するキーワードに該当しそうな場所が思い付きません。
そこで「ハワイ」ではなく「南国の島」に置き換えて考えてみたところ、頭に浮かんできたのが「パラオ」という言葉でした。
RAPTブログにも、聖徳太子と蘇我馬子が書いた「天皇記」に「パラオこそが高天原である」という情報がありました。
◯RAPT×読者対談〈第108弾〉世界はアーリア人(秦氏)とチュルク族(月派・出雲)の抗争の上に成り立っている。
「高天原」といえば「JAL123便」の墜落現場が「高天原山」でしたね。
いきなり核心を突いたかと思いましたが、念のため日本とハワイとパラオの位置関係を確認してみました。
パラオはフィリピンとグアムの中間に位置する島なので、日本とハワイを結ぶ航空路からはかなり離れた場所になります。
イルミナティは人工地震を起こして数万人の命を奪うことも厭わない連中なので「ない」とは言い切れませんが、かなり強引なことをしなければパラオ周辺に「空飛ぶウミガメ」を墜落させることは難しそうです。
そこで「関西方面の国常立尊に関連する山」となるのですが、最初は「空飛ぶウミガメ」に関連するワード「亀」と「6」にちなんで「六甲山」について調べてみました。
しかしWikipediaに江戸時代までの登山は 山を『ご神体』として山頂を訪れる信仰登山が多かったが、六甲山にはそのような大きな信仰対象は無かった
とあるように、「国常立尊」や「高天原」に関連する有力な情報は得られませんでした。
気を取り直して思考を巡らせていたところ、次に頭に思い浮かんだ山は西日本の最高峰でもある「石鎚山」です。
この山はRAPTブログでも記事になっていたので、山に詳しいわけでもない私でも頭の片隅に情報として残っていました。
◯私の住む愛媛県の最高峰「石鎚山」は、JAL123便を撃墜して520人の命を奪った「国常立尊」そのものでした。
石鎚山のWikipediaにはそこまで有力な情報がありませんでしたが、RAPTブログの記事にもあった「蔵王権現」のWikipediaを見ると、「国常立尊」との関連性について書かれていました。
蔵王権現は、役小角が、吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、今でも吉野山の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした三体の蔵王権現像が並んで本尊として祀られている。
神仏習合の教説では安閑天皇(広国押建金日命)と同一の神格とされたため、明治時代の神仏分離の際には、本山である金峯山寺以外の蔵王権現を祀っていた神社では祭神を安閑天皇としたところも多い。
また神道において、蔵王権現は大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命等と習合し、同一視された。その為蔵王権現を祭る神社では、主に上記の5組の神々らを祭神とするようになった。
石鎚山 – 山そのものが石鎚蔵王権現⇒明治の神仏分離以前は石鈇山・石鈇蔵王権現(愛媛県西条市四国霊場第64番前神寺)
石鎚山は山そのものが石鎚蔵王権現
ということですから、「山そのものが国常立尊」と言い換えることができます。
と、ここまで調べてきたところで、ふと一つの疑問が頭をよぎりました。
「JAL123便の乗客が犠牲になることで国常立尊は蘇っているのなら、わざわざ再び国常立尊を蘇らせる必要はあるのか?」
ここで改めて「生命の實相」の表紙を見直してみました。
「生命の實相」の表紙に描かれた日・月・空・海・鶴・亀
「太陽と月(昼と夜)」「空と海」「鶴と亀」と、「表と裏」の様に対になる相反する要素が描かれ、「陰陽」や「カタカムナ」を連想させます。
これに「JAL123便」と「空飛ぶウミガメ」に関連するワードを当て嵌めてみますと、以下のような構図が成り立ちます。
- JAL – 鶴 – 日 – 空 – 国常立尊
- ANA – 亀 – 月 – 海 – ????
この「????」に該当する、国常立尊と対を成す存在は何なのか?
国常立尊に関連する場所をあれこれ調べるより、この正体不明の存在を明らかにすれば、自然とそれに関連する場所が見えてくるのではないかと考え、国常立尊の様に日本神話で「姿を現さなかった」とされる神について調査してみることにしました。
別天津神
『古事記』上巻の冒頭では、天地開闢の際、高天原に以下の三柱の神(造化の三神という)が、いずれも「独神(ひとりがみ)」(男女の性別が無い神)として成って、そのまま身を隠したという。
- 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) – 至高の神
- 高御産巣日神(たかみむすひのかみ) – 天の生産・生成の「創造」の神。神産巣日神と対になって男女の「むすび」の男を象徴する神
- 神産巣日神(かみむすひのかみ) – 地の生産・生成の「創造」の神。高御産巣日神と対になって男女の「むすび」の女を象徴する神
その次に、国土が形成されて海に浮かぶくらげのようになった時に以下の二柱の神が現われた。この二柱の神もまた独神として身を隠した。
- 宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)– 活力の神
- 天之常立神(あめのとこたちのかみ)– 天の永久性を象徴する神
これら五柱の神を、天津神の中でも特別な存在として「別天津神」と呼ぶ。別天津神の次に神世七代の神が現れた。
最初に現れた神だとされる「天之御中主神」は、RAPTブログの記事で「国常立尊」と「豊受大神(トヨウケビメ)」と同一神であるという情報がありました。
◯RAPT×読者対談〈第94弾〉大震災は天皇家一族(イルミナティ)のボロ儲けの種。
また「天之常立神」のWikipediaには『先代旧事本紀』によれば、天之御中主神と同一神である
との記載もあります。
つまり「天之御中主神」と「天之常立神」と「国常立尊」と「豊受大神」は全て同一神ということになります。
「別天津神」についてはただでさえ情報が少ないうえに、「調べてみたら国常立尊と同じ存在だった」という可能性もあるため、国常立尊も含まれる「神世七代」に注目してみました。
神世七代
『古事記』
『古事記』では、別天津神の次に現れた十二柱七代の神を神世七代としている。最初の二代は一柱で一代、その後は二柱で一代と数えて七代とする。
- 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
- 豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
- 宇比地邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
- 角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
- 意富斗能地神(おおとのぢのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
- 淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
- 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)
(左側が男神、右側が女神)
『日本書紀』
『日本書紀』の本書では、天地開闢の最初に現れた以下の十一柱七代の神を神世七代としている。
- 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
- 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
- 豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)
- 泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)
- 大戸之道尊(おおとのぢのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)
- 面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)
- 伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
「神世七代」の神を見ると、国常立尊(国之常立神)と同じく性別がない神として「豊雲野神(豊斟渟尊)」が登場します。
(『日本書紀』には「国狭槌尊」という神が登場しますが、石鎚山のWikipediaには『日本霊異記』には「石槌山」と記され
という表記も見られることから、国狭槌尊もまた国常立尊と同一神である可能性があります。)
そこで「豊雲野神」に注目した際に心に感じるものがあったので「これは核心ではないか」と思い、Wikipediaのリンクを辿って「豊雲野神」のページを見てみましたが、驚くほど僅かな情報しか書かれていませんでした。
国常立尊(国之常立神)と豊雲野神(豊斟渟尊)は性別のない独神であるとされていますが、「生命の實相」の表紙に描かれた「太陽と月」の様に対になる関係にあるのではないか、という仮説を立て、「豊雲野神」について調査してみました。
艮の金神(国常立尊)と坤の金神(豊雲野尊)
Wikipediaにもほとんど情報がない「豊雲野神」に関することなので、有力な情報を得るためにはさぞかし苦労することだろうと腹を括って調査を開始しましたが、「豊雲野神」で検索を掛けると、Google先生は求めていた答えをすぐに出してくれました。
(この記事をまとめる際に試してみましたが、「豊斟渟尊」で検索すると「豊雲野神」とは違う検索結果が表示されるので、求めていた情報に辿り着けなかったかもしれません。)
未申の金神(豊雲野神)
53.坤の金神
さて、スサノオと言えば、艮の金神、悪神たちによって艮(丑寅)の方角に封印された「国常立尊」のことであると以前(41.艮の金神)書きました。
この国常立尊にはご妻神がおられました。
「豊雲野尊(とよくものみこと)」という神様です。
国常立尊が艮の方角(鬼門)に幽閉されたため、妻神の豊雲野尊は艮とは逆方向の坤(未申)の方角、「裏鬼門」へと向かったと言われています。
そこから、国常立尊は艮の金神、豊雲野尊は「坤(ひつじさる)の金神」と呼称されるようになりました。
日月神示では、艮の金神が復活して「世の立て替え(岩戸開き)」を行うとされています。
ところが、艮の金神が復活するためには、まず妻神の豊雲野尊が復活することが必要だと大本神話では言われているのです。
では、その豊雲野尊はどういう神様なのでしょうか?
しかし、残念ながら、この神様に関する記載は記紀にもほとんどないのです。
一説には「金勝要大神(きんかつがねのおおかみ)」と同一神ではないかと言う説もあります。
そう、昨今有名になった、いわゆる「トイレの神様」です。
その時代に流行する歌というのは、やはり、時代的な意味があるものなのかもしれませんね。
豊雲野尊は、瀬戸内海の無人島である「神島(かみじま)」に幽閉されていたということで、大本では、ご神示によって、大正5年に「神島開き」という神事を出口王仁三郎が行ったようです。
~中略~
話を戻しますが、それにしても何故、艮の金神の前に坤の金神の復活が必要なのでしょうか?
これに関しては、大本のお筆先に以下のようにあります。
「みろく様の霊はみな神島へ落ちておられて、未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、みろくの神の御霊でけっこうな御用がさしてありたぞよ。みろく様が根本の天の御先祖様であるぞよ。国常立尊(艮の金神)は地の先祖であるぞよ…」
つまり、坤の金神はなんと「みろく」であり、艮の金神である国常立尊よりも神格の高い「天の神様」であるということなのです!
王仁三郎の『霊界物語』をお読みになった方は多いと思いますが、日本の神様の話なのに何故、エデンやシナイ山やエルサレムが出てくるのかと違和感を感じた方もまた多いのではないでしょうか。
今にしてやっと思えるのですが、この物語は日本の隠された重層構造を暗示したものだったのではないかと。
日本の神の下には古代ヘブライの神が隠され、その下には「みろく」が隠れているなどと当時はストレートに言える時代では到底なかったわけですから、フィクションにする必要があったのでしょう。
王仁三郎の時代から100年近く経った今、こうしていろいろなことが明らかになってきていますが、日本のおもしろいところは、その下がまだまだ奥が深いというところなのです。
「JAL123便墜落事件」の首謀者の一人と思われる中曽根康弘の影響からか意識が生長の家に向いていましたが、「国常立尊」という神を近代になって復活させたのは大本の出口王仁三郎でした。
そこで確認のために大本のHPを見るとこのような記述がありました。
王仁三郎がみろく様
大正5年(1916)、教団名が「皇道大本」(こうどうおおもと)に改称されました。
その年の6月25日、神示により瀬戸内海に浮かぶ神島(かみじま)という無人島に、艮の金神の妻神である、坤の金神の神霊を、綾部の大本にお迎えするという神事が行なわれました。これを「神島開き」と呼んでいます。
9月に二度目の、10月に三度目の神島参拝が行なわれましたが、この三度目のときに、なお自身も驚くような筆先が出たのです。
「みろく様の霊はみな神島へ落ちておられて、未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、みろくの神の御霊でけっこうな御用がさしてありたぞよ。みろく様が根本の天の御先祖様であるぞよ。国常立尊(艮の金神)は地の先祖であるぞよ…」
みろくとは仏教でいう弥勒菩薩のことで、お釈迦様の入滅後56億7千万年後に現われて人々を救済するという一種の救世主信仰が、日本では戦国時代のころから民衆の間に広まっていきました。
筆先では、王仁三郎にかかっていた神霊──坤の金神、素盞嗚尊、小松林の霊はすべて、みろく様の系統であり、それがなおにかかる国常立尊よりも尊貴な、天の神様であると示されているのです。
なおは今まで、王仁三郎にかかる神霊は自分より低い、悪神の系統だと思い込んでいました。
しかし実は正しい神様で、自分の神業を助けに、天から地に降りてきて下さった、みろくの大神様だったということを、自分の手から出た筆先で知らされたのです。
これを「見真実」(けんしんじつ)に入った、といい、大本神業において重要な出来事の一つです。
なお開祖の神観の大転換により、王仁三郎に対する役員信者の態度も改まり、以後は王仁三郎の活動は大分やりやすくなりました。
やはり「豊雲野神(坤の金神)」は「国常立尊(艮の金神)の妻」であり、更には国常立尊よりも神格の高い「天の神」ということです。
しかも「みろく」でもあるということですから、「シャカ(SHAKA)」のハンドサインで「666」を表現していたことにも合致します。
そして豊雲野神は瀬戸内海の無人島である「神島(かみじま)」に幽閉されていた
とのこと。
また、国常立尊の復活には先ず豊雲野神の復活が必要だとのことですから、「JAL123便」の墜落によって高天原の石仏に520名の御霊が入っただけではまだ国常立尊は復活できていないということでしょう。
そしてイルミナティが豊雲野神を復活させるために第二の「JAL123便墜落事件」を企んでいるとすれば…。
聡明なあなたなら、これ以上言わなくてもお察しいただけるかと思います。
「HAWAii」と「COUCHii」 なぜ「ii」だけ小文字なのか?
「HAWAii」「COUCHii」と「ii」だけ小文字になっていることも、「シャカ(SHAKA)」の「666」と同じように何か深い意味が込められているのではないかと気になっていました。
しかし豊雲野尊の存在が明らかになり、そのうえ国常立尊と夫婦神だったということが判明したことにより、「ii」が人(男女)が二人で並び立っているようにも見えてきました。
「ii」は国常立尊と豊雲野尊が並んでいる様子を表現したのでしょうか?
また「空飛ぶウミガメ」のCMを見ても、豊雲野尊の復活儀式を予告するためなのでしょうか、「ii」と「!!」がしつこいくらいにこれでもかと登場します。
この場面は空から人が真っ逆さまに落ちる状態を暗示しているようにも見えます。
この場面を動画で見ると、人が上空から落下する様子を動作で表現しているようにも見えます。
普通、30秒のCMでここまで「!!」と「ii」をアピールする必要があるでしょうか?
しかし悪魔崇拝者たちが悪事を計画する際、映画などを使ってその計画を予告する慣例があるようです。
実際、イルミナティの連中は、自分たちの立てた計画を「映画」や「アニメ」や「漫画」などを使って、事前に予告しなければなりません。なぜかそのような取り決めになっているようです。
実際、2001年に起きた「9.11」も、「ジョジョの奇妙な冒険」やら「ターミネーター2」やらを使って、十年近く前から予告されていました。
おまけ。
ちなみにこの「WORST」という漫画の27巻が発売されたのは2011年の8月6日ということです。
この頃から吉本興業の闇営業のことは知られていたということでしょうか?
これらのことを参考にすると、「!!」や「ii」が多用される「空飛ぶウミガメ」のCMも、イルミナティが計画している悪事の予告なのではないでしょうか。
また「ii」は見方を変えると二本の柱の様にも見えます。
二本の柱といえば「JAL123便墜落事件」の慰霊塔が、ピラミッドをモチーフとした二本の柱となっていました。
この「二本の柱」もピラミッドと並びフリーメイソンのシンボルとして使われています。
フリーメイソン・日本グランドロッジ玄関ロビーのステンドグラス
柱の形状が正に「ii」と同じですね。
「二本の柱」で思い浮かんだのが、聖書でソロモンが宮殿を建てた際に神殿の前に設置した「ヤキン」と「ボアズ」という名の柱です。
わざわざ柱に名前を付けることに疑問を感じていたので、「ヤキン ボアズ」で検索してみました。
ソロモンが建てた神殿の入り口に配置された2本の柱「ヤキン」と「ボアズ」
また「ヤキン ボアズ」の検索結果にはこのような情報もありました。
フリーメイスンリーのEMBLEMATIC CHARTフリーメイスンリーのシンボルを図柄として配置しそれぞれの意味を確認する目的で作成されたポスターです。この図の中での左右の柱はヤキンとボアズといい聖書の中でソロモン宮殿を作った際に神殿の入り口の左右に配置した象徴的な柱とされています。
また、このポスターから二本の柱を取り除くと、「生命の實相」の表紙も同じ構図になっていますね。
JAL123便墜落事件と深い関わりがある、生長の家の聖典「生命の實相」
さすがにポスターの方には鶴と亀は見当たりませんが、太陽と月が雲で隠れているところも同じです。
この様に見ていくと、「生命の實相」の表紙には様々な悪魔崇拝的要素が詰まっていることが分かります。
◯「日本会議=生長の家」と黒い人脈。全ての悪は「生長の家」に通ずる。
また「生命の實相」の表紙の構図は、李氏朝鮮の王宮である景福宮の日月五峰図ともよく似ています。
西洋人のイメージがある「フリーメイソン」も、李氏朝鮮の王族の「李家」も、「客家」と呼ばれる中国系の「李家」も、聖書に出てくる神様に反逆したユダヤ人の末裔と言われていますので、皆同じように神様を冒涜する象徴を先祖代々受け継いで拝んでいるのでしょう。
大本の聖地・神島と「みろく」
豊雲野神の正体が分かったところで、次はその豊雲野神に所縁があるという「上島(神島)」(兵庫県姫路市)について見ていきましょう。
「神島」といっても大本がそう呼んでいるだけであり、正式名称は「上島」になります。
この上島は本当に小さな無人島なので、「兵庫県姫路市の上島」と場所を特定するまでに少々難儀しました。
その神島ですが、大本のHPには以下のような記述がありました。
神島について
五六七様(みろくさま)の御霊は皆、綾部の坤(西南)に位置する瀬戸内海(家島諸島)の孤島・神島(上島、一つ島、牛島などとも呼ばれる)に落ちて居られた。
出口王仁三郎聖師は大正5年の6月25日、9月8日、10月5日の三回にわたって神島に御参りになり、開祖さま、二代さまも同行された10月5日の『お筆先』で、坤の金神(聖師さまの御魂)、素盞嗚尊 小松林の霊が、五六七さまの御霊であることが明らかとなった。これにより、大本の経綸は新たな段階を迎えることとなった。
大正7年5月25日には聖師さま御一行により、神島神社鎮座祭がおこなわれた。神島神社は昭和10年、第二次大本弾圧で破壊されたが、同26年5月20日に二代教主さまの筆による「みろくのおほかみ」の石碑が建立され、現在にいたっている。
出口王仁三郎に懸かった豊雲野神は女神だったことから、王仁三郎は女装して「神島開き」の行事を行ったそうです。
当初、教団は国常立尊(男神)が懸かったなおを「変性男子」、豊雲野尊(国常立尊の妻神)が懸かった王仁三郎を「変性女子」と定めており、現実での養母・養子婿関係は宗教的には夫婦関係という微妙な状態だった。なおに天照大神が、王仁三郎にスサノオが懸かって「火水の戦い」という大喧嘩をしたことがある。
大本は豊雲野尊が幽閉された「神島」の他にも、国常立尊が幽閉されたとする「沓島」とその手下の眷族が幽閉されたとされる「冠島」の島開きも行っています。
「沓島」に国常立尊、「神島」に豊雲野尊がそれぞれ閉じ込められていたということですが、その沓島と神島の位置関係が以下になります。
国常立尊が幽閉されていた沓島と豊雲野尊が幽閉されていた上島(神島)
大本の本部を中心として沓島と神島が対角になる位置関係ですね。
ちなみにこのエリア内で2005年に「福知山線脱線事故」が起きています。
福知山線脱線事故現場と大本本部
◯私たち、命を狙われました。これが支配層による口封じの実態です。
この「福知山線脱線事故」も大本と関係があるのでしょうか。
上島(神島)に関して更なる情報はないかと求めていたところ、「レイライン」という言葉が頭に浮かんだため、上島(神島)に関連するレイラインはないものかと探してみました。
上島(神島)は本当に小さな無人島なので、あまり期待はしていませんでしたが試してみるものです。
かなり重要な情報を得ることができました。
高砂沖の島は、上島(かみしま)という。この上島は神島の意味であるといわれている。
この上島と高御位山のイワクラと家島のイワクラを結ぶと二等辺三角形となる。上島から真北の位置に木庭神社のイワクラがある。高御位山の真南に生石神社の石の宝殿、そして荒井神社がある。
これらのレイラインを「播磨神島のレイライン」と呼び、新しいレイラインとして提唱する。
~中略~
兵庫県加古川市志方町と高砂市阿弥陀町長尾の境界に高御位山(たかみくらさん)がある。
加古川流域には高い山がなく、この高御位山が最も高い山であり、播磨平野にそびえている。地元では元旦の初日の出を高御位山の山頂から眺めるのが風習となっている。ハイキング登山としても有名な山で、休日にはハイキング客でにぎわう場所である。
~中略~
高御位山頂には、九鬼家が奉納した。「天乃御柱天壇」と書かれた真新しい石柱が建てられている。これは、『九鬼文書』で万国統治の神とされる天之御中柱天地豊栄大神(あめのみなかはしらあめつちとよさかおおかみ)を祀るという意味であろうか、さらに祭壇下部には、「天君再臨霊界粛清」と書かれている。救世主が高御位に現れることを意味しているように思える。
また、高御位山の西の麓に高御位神宮(神社本庁の神社ではない)という建物があり、九鬼神法の秘儀が行われている。
九鬼一族は、天孫降臨の際の宰相神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祖とし、天皇家の祭祀を司っていた藤原家に繋がる熊野別当の宗家である。後醍醐天皇が吉野に落ち延びようとしたとき、幕府側の追っ手から鬼のような活躍で三種の神器を守ったことから、九鬼の姓を賜ったという。
戦国時代には、織田信長、豊臣秀吉に仕えて、九鬼水軍として活躍する。
この九鬼一族には、『九鬼文書』と呼ばれる謎の文書が伝えられている。
『九鬼文書』は、天児屋根命、天種子命、天中押別命および大中臣牟知麿が神代文字で書き伝えた文書を、藤原不比等が漢字に訳し、藤原家と九鬼家がさらに書き足してきた合作であり、歴史から兵法や芸術に関することまで書かれた古代の百科事典である。
特筆すべきはその歴史書の内容である。宇宙創成から人類史まで全世界規模の驚愕な物語が書かれている。ノアもイエスも釈迦も登場する『竹内文書』に似た万教同根の歴史書で、『古事記』や『日本書紀』と決定的に異なるのは、スサノヲの出雲王朝を正統としている点である。
この『九鬼文書』の中にも高御位山は記載されている。
「神武五代孝昭天皇御即位成シ給フヤ天中押別命ニ命シ正月高御位山ニ到ラシメ此所ニ鬼門八神鎮靈ノ典儀ヲ攸セシメ幣ヲ立テシム、高御位山ハ皇始祖天御中主天皇ノ岩築陵ノ存スル所ニシテ神國唯一ノ靈峰地ナリ」、
「神武五代孝昭天皇 即位シ給フヤ正月天中押別命勅令ヲ奉ジ 高御位磐境山頂ニ至リ 天御中主大神ノ靈ヲ鎮メ 天照座大神 月夜見大神 健速素戔嗚大神 大國主大神 磐烈大神 根烈大神 豊受姫大神 植山姫大神ノ八神ヲ奉祀シ鬼門八神鎮靈ノ祭儀ヲ修シ天皇茲ニ幣ヲ立テ 天津日嗣ヲ請ケ給ヒ此山ヲ高御位山ト稱ク 以降歴代畏クモ此山ニ典儀幣ヲ立テ以テ天津日嗣ヲ請ケ給ヒシモ異教ノ傅來加フルニ後醍醐天皇ノ事變以降是ヲ廢スルニ至ル」
などと数多くの記載がみられ、ここが天御中主が祀られた山であり、天皇が天津日嗣を請けた場所であるから「高御位山」と名付けられたとされている。
この『九鬼文書』と言えば大本教(正確には大本)との関係も無視できない。大本教は丹波の綾部の霊能力者出口ナオのお筆先と呼ばれる自動筆記と出口王仁三郎の神懸りによって大きくなった宗教団体で、1921年と1935年に政府による宗教弾圧事件が起こり壊滅する。
弾圧後、生長の家の谷口雅春、世界救世教の岡田茂吉、神道天行居の友清歓真、心霊科学研究会の浅野和三郎、合気道の植芝盛平など多くの高弟たちがこの大本教団を離脱して活躍する。新興宗教史の要に位置する教団である。
出口ナオは艮の金神(うしとらのこんじん)の啓示を受け、この神が世に出ることによって世の中が改まるとした。この神は出口王仁三郎によって国常立神(くにとこたちのかみ)と解釈され、地球を創った国常立神は、世界統治に失敗した責任をとって隠れ、世界を救うための救世主としてスサノヲを使わした。というのが、大本教の国祖神隠退再現神話とスサノヲノミコト救世主説である。これは、『九鬼文書』と合致する。
『九鬼文書』の鬼門祝詞には、宇志採羅根真大神(うしとらのこんしんおおかみ)が出現し、「天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産霊神(たかみむすびのかみ)、神御産霊神(かみむすびのかみ)、伊弉諾神(いざなぎのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月夜見大神(つくよみのおおかみ)、建速素戔鳴大神(すさのおのおおかみ)」を統合したものとされる。大本教は、スサノヲを救世主とし、『九鬼文書』は出雲王朝を正統とする。王仁三郎は、神道、道教、回教、仏教、キリスト教などを統合することを目論んでおり、これは『九鬼文書』の万教同根に繋がる。
また、出口王仁三郎は、高御位神宮で九鬼神道のトレーニングを受けたとの噂もあり、『九鬼文書』と大本教がこの高御位山で交差する。
そして、この高御位山に登ると、南に上島が見えるが、出口王仁三郎は、1916年に、坤の金神(ひつじさるのこんしん)が幽閉されているとして、この島の島開きを行っている。
「高御位山」はここが天御中主が祀られた山であり、天皇が天津日嗣を請けた場所であるから「高御位山」と名付けられたとされている
ということです。
そして「天御中主」と国常立尊は同一神でしたので、「高御位山」に国常立尊が祀られているということになりますね。
その「高御位山」は出口王仁三郎が「九鬼神道」のトレーニングを受けた
という噂がある場所であり、王仁三郎のWikipediaにも現在の大本の「十曜神紋」も綾部藩主九鬼家の九曜紋家紋を引用してこの時に定められた
との記載があります。
出口王仁三郎の経歴を見ると、出口なおと出会う前にいくつかの宗教団体で修業をしているようですが、王仁三郎の宗教的思想の核になる部分は九鬼神道(九鬼文書)にあるといえそうです。
また上島と高御位山のイワクラと家島のイワクラを結ぶと二等辺三角形となる
とありましたので、少しだけ作業してみました。
上島(神島)・高御位山・家島の岩座
たしかに二等辺三角形になりました。
三角形やピラミッドは悪魔崇拝のシンボルでもありますので、かつてこの周辺地域で悪魔崇拝儀式が行われていたということでしょう。
ほとんどの人が関心を持つことはないと思われる瀬戸内海に浮かぶ小さな無人島の上島ですが、その上島に上陸したという方のブログがありましたので、上島がどんな場所なのかを知るつもりでそのブログをのぞいてみました。
上島-01 プロローグ
2,016年6月21日、「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さん達と、念願の「上島」に上陸した。
吉野さんからの要請もあり、「上島」上陸については、しばらく封印してきた。
しかしその封印も、今年になってやっと解けた。
「上島」は、姫路沖に在る家島諸島の東端の小さな無人島で、「大本」の聖地とされている。
「上島」の存在を知ったのは、「上森三郎」さんから。
上森さんもこの島を大変重要視していた。
僕には、何故この島が重要なのかよく理解できないでいた。
~中略~
さらに面白い事に気が付いた。
それは、島の形とその北方に伸びる、細長い岩礁。
「精子」のように見える。
そしていろいろ妄想を膨らませていた。
行ってみたいと思ったが、そう簡単に行ける場所ではない。
船をチャーターしなければならないし、接岸できる場所も極めて少ないらしい。
機会を待つしかない。
その機会が、知り合ったばかりの「吉野信子」さんからもたらされた。
2016年5月頃だったろうか。小躍りして喜んだが、すぐに中止の連絡が入った。
原因は、参加希望者が増えすぎてしまったかららしい。
決して安全な場所ではないので、大勢では行けない。ガッカリだった。
6月中旬になった頃だろうか、再び連絡が入った。
「上島に行くのは、ご神事なので絶対に行かねばなりません。極少人数で行きます。武部さん、ぜひ同行してください!これは、誰にも内緒です!」と。僕以外はすべて女性らしい。
上森さんの会社のT.T.Cのセミナールームで始まっていた「カタカムナ講座」(実はこの講座開設の切っ掛けを作ったのは僕だったが)でまだ六度会っているだけなのに、何故僕が選ばれたのか不思議に思えた。
僕が磐座探索のベテランであるという事と「上島が精子」と言っているのを、吉野さんが知っていたからではないかと推測している。
「上島」は当然「神島」。
地名で本来「神」であるべきところを、「上」と書いている例は多い。
「大本」は何故この「上島」を一大聖地としたのであろうか。
冒頭にいきなりカタカムナ研究家「吉野信子」の名前が出てきました。
「カタカムナ」は出口王仁三郎が学んだ「九鬼文書」よりも遥か昔に書かれたとされる文献です。
カタカムナとは、上古代の約1万2000年以上も前に、日本で栄えた高度な文明の名であるとされている。何故、縄文以前かというと、「カタカムナ文字」又は「カタカムナ文明」が存在したという痕跡は、縄文時代以降の遺跡や記録には全く見つかっていないからである。又、世界の古代文明でも、この様に、幾何学文字を渦巻き状に描き出すという類似文字は発見されていない。
「カタカムナ」という神の名がこの世に甦ったのは、1949年(昭和24年)にカタカムナ文献の発見者であり、カタカムナ文字の解読者である楢崎 皐月(ならざき こうげつ)氏が、兵庫県六甲山系金鳥山付近で、大地の電位測定の為の調査を行っていたところ、「平 十字(ひら とうじ)」と名乗る猟師風の男性に出会ったことから始まる。
この吉野信子は悪魔ルシファーとイエスキリストが神道の神となると主張している人物でもあります。
◯RAPT×読者対談〈第82弾〉カタカムナこそルシファー信仰の源流である。
○#YouTube に #東京セミナー の様子を一部アップロードしました。 #言霊 の #振動について。 #666 について。や、 #勾玉 #☯ について。
ホワイトボードに「魔心(まこころ)」とか「666」などと悪魔崇拝的な内容が書かれていますね。
やはり「カタカムナ」とは、古代日本で行われていた悪魔崇拝について記された古文書で間違いなさそうです。
この「第5首」は「ひふみ」で始まっているので「ひふみ祝詞」と呼ばれているものでしょう。
「ひふみ」は「123」ですね。
また「666」は「みろく」であり、上島に幽閉されている豊雲野尊も大本では「みろく様」と呼ばれていましたので、もしかすると重要な情報を得られるかもしれません。
引き続きこのブログを見ていくことにしましょう。
上島-02 上陸へ
2016年6月21日、朝目覚めた時、まだ強い雨が降っていた。
家を出る時も、傘を差した。JR大阪駅に立った時には、雨は上がっていた。
天気予報的にも、雨の心配はなさそうだ。
姫路港で待ち合わせ。
チャーターした船に乗り込む。
総勢六名。
僕以外は、すべて女性。
「上島」は無人島。
島の真ん中あたりに灯台が建っているので、海上保安庁かその所轄が管理しているのか、あるいは「上島」を大聖地としている「大本」が管理しているのか僕には分からなかった。
メンバーの一人が「大本」に交渉して、上陸の許可は得ているとの事だった。
~中略~
階段の最上部にゲートが有り、鍵が掛かっていた。
「大本」からは、鍵までは預かれなかったようだ。
両サイドは一応通ることが出来る。
ゲートのポールにつかまって回り込めば、問題ないが、そんなことをしたことがない方も何人かいたので、僕がまずわたり、次々通過。
「上島」は無人島で大聖地。
観光気分で軽々に行ける場所ではない。
それなりの覚悟が必要かと思う。
上島は大本が管理している場所らしく、普段は一般人が立ち入れないようになっているようです。
そこを大本から許可を得て上島に上陸したということは、カタカムナ研究家の吉野信子がそれ相応の力を持っているということでしょう。
上島-03 祈り
ゲートを超えると、すぐに空間は広がった。
地図には、鳥居マークと社のようなしるしが付いているが、そのようなものは無く、竹で囲われていた。
「大本」から許可をもらった人は、「ここは禁足地なので、入らないでください!」との事だった。
磐座を思わせる石組が在るが、古いものではないと思われる。
あるいは、「出口王仁三郎」が組んだものであろうか。
一応、その場に挨拶をして、先に進む。
猛烈に笹の茂ったジャングルだが、トンネル状に穴が開いている。
まるで、異界に入って行く感じ。
笹薮のトンネルを抜けると、海抜46mの「上島」で一番高い場所に、灯台。
ソーラ発電システムがあるぐらいで、そっけない。
さほど広くないスペースだけれど、周辺の樹木や笹が茂りすぎて、海は全く見えない。
それが、静寂の不思議な空間を作っている。
僕にはこの場所にも「原初のニワ」を感じる。
灯台が無ければこの場所は、「大本」の聖地以上の神秘性御感じる。
「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さんに誘われて、この場所に立っているのは確かなのだが、僕が何故ここにいるのか、その訳が今一つ分からない。
神事をするというが、僕には何故に?という感じ。
「カタカムナ」の5首
ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト アウノスベシレ カタチサキ
「カタカムナ」の6首
ソラニモロケセ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ
これを歌うという。
続いて「あわ歌」も。
あかはなま いきひにみうく
ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる
すゆんちり しゐたらさやわ「あわ歌」は古くから知っているけれど、そして重要な音だとも思っているが、今までほとんど歌ったかとがない。
そして、各々「決意を宣言する事!」。
これが重要らしい。
僕は、磐座との関わりをブツブツ。
そして「君が代」。
「君が代は、千代に八千代に さざれ石の巌となりて こけのむすまで」
僕は、戦中生まれで、戦後の混乱期の教育を受けてきた。
その影響ではないが、やや左かぶれであったかもしれない。
何と無く「君が代」に違和感を感じて、まともに歌えなかった。
ある時、「君が代」は「磐長姫賛歌」だという記事を読み、これも何と無く腑に落ちた。
それから、大声で歌えるようになった。
人の意識というものは不思議なものだ。
ブログ主さんは磐座をはじめとする上島の遺跡の探索目的で島に渡ったようですが、悪魔ルシファーが神だと主張する吉野信子は何やら怪しげな儀式を行うために上陸したようです。
上島-10 精子
2016年6月21日、「夏至」に「上島」に立ち、次に向かったのは「家島」。
~中略~
「家島」には「国生み神話」の伝承もあるようで、この絶妙な島の配置を見ると、有り得ると思ってしまう。
「家島群島の磐座」を書いたのは、2014年1月8日。
このころから僕は、「上島」の話題が出ると「上島は精子だ!」と言うようになった。今回の「上島・神事」の主宰者である「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さんは、「上島は精子だ!」に反応したのかもしれない。
本人に確かめた分けではないが、その後の動きを見ると、どうもそのようだ。
「上島」から「精子」の印をいただいて帰る。
それが大きな目的だったのかもしれない。
それ故に、女ばかりでなく、男の僕が同行する必要があったのかもしれない。
「精子」といえば生命の誕生には欠かせないものであり、これは豊雲野尊には国常立尊の様に520の御霊が520体の石仏に入ることで蘇る
といった伝説がないため、豊雲野尊に新たな生命を吹き込んで復活させるためにこの様な儀式が必要なのでしょうか?
上島-12 大いなる繋がり
2016年6月21日「夏至」に、女6名・男1名で、秘境であり大聖地である高砂沖の無人島「上島」に上陸した。
「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さんの企画で、一連の神事の一環であった。
一連の神事が終了するまで、「上島」上陸については封印しておくよう、釘を刺されていた。
その一連の神事も、今年の1月10・11日の伊勢での神事で終了した。
その時点で一応、封印は解けたものと解釈していたが、なかなか書けないでいた。
今ここでこの「上島シリーズ」を書けるようになったのも、何故か仕組まれてようにも思えてくる。
~中略~
それで、「内宮の磐座」と「姫石明神」を「地理院地図」上で繋いでみた。
ブルー・ラインが正にドンピシャで、「家島の尾根上の磐座」を通る。
僕はこの磐座を「卵子」と見立てた。
「上島は精子」。(「上島-10 精子」参照」
島々の間をすり抜けてきた「精子の嶋」が「卵子である岩」にたどり着き、「子宮である湾」に転がり落ちて、「着床」する。
その「精子」をもたらす元「男岩」はどれか。
僕はそれを「内宮の磐座」と見立てた。
それでは「卵子」の母体は「姫石明神」。
「内宮の磐座」と「家島の尾根上の磐座」が、「姫石明神」を通じて繋がり、ワンクッションをおいて、「上島」に繋がり、さらにその真北にある「イエスキリストの陵墓」や「キリストのハート山」にも繋がった。
この意味は僕にとって、極めて大きい。
今年の1月10・11日と、「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さんの企画した最終の神事が、伊勢で行われた。
この神事には、全国から100人近い人達が集まった。
10日は「外宮」での正式参拝、「猿田彦神社」、「倭姫宮」、「伊雑宮」参拝し、二見ヶ浦近くの宿に泊まった。
11日朝食前に、「二見の夫婦岩」に日の出を拝みに行ったが、この時期は、そこからは見えない。
しかし、何という事か霞んではいたが「富士山」がかすかに見えていた。
これも極めて意味深い。「二見・興玉神社」は「猿田彦大神」を祀る神社。
そこで、面白いものを見付けた。丸に十なので「カタカムナ文字」のようだと思い購入し、これを朝食の席で吉野さんにプレゼントした。
これが大きな意味を秘めていたとは、その時僕は理解していなかった。
11日は、「内宮」で正式参拝後、「内宮の磐座」で神事をすることに成っていた。
「内宮の磐座」を知る人はほとんどいない。
僕がその案内役だった。
僕は、正式参拝はしないつもりで、ジーンズ・スタイル。
他の方たちは皆正装。御神楽奉納を済ませて、正宮前に集まったが、正宮では神事の真っ最中。
神事が終わるまで、正式参拝は出来ない。
時間が無い。吉野さんはこのように宣言していた。
1月11日11時11分11秒、全て1が繋がる時間帯に、「内宮の磐座」の前で、神事を行わねばならないと。それで、正式参拝をキャンセルする決断をされた。
僕の案内で「内宮の磐座」に赴き、1月11日11時11分11秒のほんの少し前から、神事が始まった。
1月11日11時11分11秒
と数字にこだわるところが正に悪魔崇拝的です。
名前が出てきた「姫石明神」「内宮の磐座(伊勢神宮)」「家島の尾根上の磐座」を地図で見ると、確かに一直線につながりました。
上島-14 上陸の目的
2016年6月21日「夏至」、高砂沖の「上島」に六名で上陸した。
「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さんの一連の神事の一環。
女五名、男は僕一人。
僕が何故その一員なのか、その理由がよく分からなかった。
磐座、並びに登山経験もあるので、案内役ぐらいに思っていた。
僕自身非常に興味を持っていた場所ではあるが、僕だけが何故行けたのか不思議に思っていた。
実は、大きな役割を担っていたらしい。
今年の6月3日「吉野信子後援会」の集まりがあった。
僕自体がその会員であるのは、「上島」に行ったメンバーであることからの繋がりでもある。
三次会までやって、最後まで残っていたのは確か7名だったと思う。
今回も男は僕一人。「上島」の話が出た時、僕の前に座っていた「清水より子」さんが、言った。
「武部さん、いなくなりましたよね!」
「ウン?」僕。
「女五人、手を繋いで、灯台を取り巻いたのです!ぎりぎり届きました!」
「ヘー?」
「すると、灯台から水が落ちてきたのです!」
僕は「エェー!」と感嘆。
その時、全てが読み解けた。
女五人が灯台を取り巻いていた時、僕は、笹のトンネルの中で、写真を撮っていた。
灯台の上部のデッキのようなところに水が溜まっていて、一瞬強い風でも吹いて、水が飛ばされたのであろうか?
当日、未明まで雨は降っていたものの、その後は晴天。
沢山水が溜まっていたとも思えない。灯台はコンクリート製だが、「メンヒル」を思わせる。
つまり「立石」で「陽石」。
それはペニスの象徴。
その時、僕がいては困るわけだ。
僕は、むしろトンネルの中。
それは「陰」。
つまりはバギナ。
意識せずに、象徴的な構図になっていたようだ。
女五人に取り囲まれて、灯台は水を落とす。
象徴するところは、「射精」。
僕はその時点では、この事象について全く知らなかった。
そして、僕は何故あの場所にいたの、不思議に思っていた。
「吉野信子オフィシャルサイト」の「カタカムナ日記」にこのようなことが書かれていた。(2017年1月17日の記事より)
高御位山は去年2月3日節分の日に、初めて皆さんと登り、山頂で平和の御子がお生まれになりますように・・・という御神事をさせて頂いたところです。「アナあっぱれ!」とみんなで手をつないで、出産を祈願しましたね!
又、上島は、精子の形をしている大本教所有の無人島ですが、夏至の6月21日、少人数で船をチャーターして平和の御子の精子(石)を頂きに行った場所です。と。
やはり、当初より吉野さんは「上島」に、「精子」をいただきに行くのが目的だったのだ。
「上島」を「精子」だと言い出したのは僕。
したがって、僕には「上島」に行かねばならない使命がすでにあったようだ。
「上島」の唯一の砂浜で、その「精子」を象徴する「白い小石」を探していたのも、僕は全く知らなかった。
むしろ、僕に知らせないようにしていたのかもしれない。
それは妥当であったと、今になって思う。
その後の一連の神事も、「受精」、「受胎」、「出産」と続くのだが、僕は全く意識する事すらなかった。
それは、あるいは男の性かも知れない。
女の強い気綱がそれを成したという事か。
「アナあっぱれ!」とは「ANAあっぱれ!」ということでしょう。
部分的な説明では意味が通じないため、ここに至るまでに長くなりましたが、漸く上島(神島)とANAの「空飛ぶウミガメ」がつながりました。
引用されている吉野信子のブログ(現在はWordPressのエラーで閲覧できません)によると、2016年2月3日(節分・2×3=6)に天御中主(=国常立尊)が祀られている高御位山の山頂で「アナあっぱれ!」と出産祈願をしています。
(節分の豆まきで「鬼」とされているのが、艮(北東)の方角に封印された国常立尊と言われていますので、この2月3日という日付も何か意味があるのでしょうか?)
実は、吉野信子一行が高御位山に登る2016年2月3日から遡ること約一月、1月1日に全日空がA380の導入を発表しています。(わざわざ世間が正月休みに入っている1月1日に発表する辺りも、数字にこだわる悪魔崇拝儀式を感じます。)
このリンク先の記事でも言われているように、全日空が経営のリスクを冒してまでA380を導入し、豊雲野尊(みろく)を復活させる悪魔崇拝儀式に加担してくれるとなれば、「アナあっぱれ!」とも言いたくなるでしょう。
(「九鬼文書」と「カタカムナ」の違いがあるため完全に一致することはありませんが、大本では上島に落ちたとされる霊が坤の金神、素盞嗚尊、小松林の霊はすべて、みろく様の系統
とあり、カタカムナ研究家の吉野信子は「666」(みろく)を重視していました。)
その後、引用したブログに詳細が記されているように、6月21日(夏至)に豊雲野尊が幽閉された上島で精子を入手し、その後家島に渡っていることになります。
これで「上島のレイライン」として登場した三ヶ所が結ばれたことになります。
上島(神島)・高御位山・家島の岩座は魔のトライアングル?
そして「A380デザインコンテスト」の募集が前年の11月30日に締め切られた後、2017年の1月11日11時11分11秒、全て1が繋がる時間帯に、「内宮の磐座」と呼ばれる場所で怪しげな儀式を行ったということですね。
その後、全日空が「空飛ぶウミガメ」のデザインを発表し現在に至ることになりますが、その発表日もよく見ると3月6日(みろく)でした。
悪魔崇拝者たちのこだわりを超えた執念を感じます。
豊雲野尊が幽閉された上島(神島)が大本の聖地であることが分かったため色々と調べてみましたが、予想以上の収穫が得られたと言えるのではないでしょうか。
当初は「どこに空飛ぶウミガメを墜落させるつもりか」と調査していたわけですが、上島に墜落させると大本の聖地を破壊してしまうことになりますし、レイラインまで絡んでくると墜落場所を予測することは不可能と言えます。
しかし目的はイルミナティが「空飛ぶウミガメ」を使った第二の「JAL123便墜落事件」を起こさせないことなので、イルミナティの計画が失敗に帰することを祈り、墜落予定場所は永遠に謎のままでいてもらいましょう。
「空飛ぶウミガメ」と安倍晋三
航空機を墜落させるという大規模な計画は全日空にとってはただの損害でしかなく、一民間企業だけで実行することは不可能です。
それこそ「JAL123便墜落事件」の時の様に、日本国政府が関与するなど巨大な力が働かなければ、この様な荒唐無稽な計画を立てることすらしないでしょう。
しかしご覧いただいたように、各所できな臭い動きがあることも確かです。
そうなるとやはり、現在の内閣総理大臣・安倍晋三も「JAL123便墜落事件」の中曽根康弘と同様、「空飛ぶウミガメ」の計画に関わっているのか気になるところです。
安倍晋三と中曽根康弘
中曽根康弘は「生命の實相」を愛読する生長の家の信者でしたが、安倍晋三はその生長の家を母体とする日本会議を支持する日本会議国会議員懇談会の特別顧問を務めています。
その日本会議は日本最大の右翼組織であり、天皇を中心とする国づくりを目指し、「憲法改正・愛国心教育・戦後レジームからの脱却」などを提言している団体です。
そのため安倍晋三も憲法改正に積極的な姿勢を示していますが、過去に憲法改正を積極的に行おうとしてきた人物に中曽根康弘がおり、1955年に「新憲法制定議員同盟」を結成し、「憲法改正の歌」の作詩までしています。
ちなみに中曽根康弘のWikipediaによりますと、「自主憲法制定」をライフワークとしているそうで、中曽根康弘は100歳を超えた現在でも新憲法制定議員同盟の会長の座に君臨しているようです。
その新憲法制定議員同盟ですが、役職者の名前を見ると安倍晋三は顧問として名を連ねていました。
また、新憲法制定議員同盟の関連団体として「新しい憲法をつくる国民会議」とありましたので、そちらのHPを見てみますと安倍晋三の祖父である岸信介が初代会長を務めていました。
「1955年体制」と言われた、自由党と日本民主党が合同し自由民主党が誕生した背景には、現代の日本会議や生長の家の思想に通じる、改憲強行派・岸信介の大日本帝国憲法の時代に戻そうとする思想が影響していました。
占領下のほとんどは吉田茂内閣だった。
戦中から親米派だった吉田茂は対米従属で、1951年のサンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約を 結んだ。
軽武装のまま、アメリカに守ってもらえる、経済復興に集中できると考えたのだ。
吉田茂のライバルに岸信介がいた。
岸は東条内閣の商工大臣をつとめ、戦後はA級戦犯として巣鴨プリズンに収容されていた。
1948年、公職追放解除により釈放され、いったんは山口県に帰ったが、吉田茂の対米従属を批判し、再び政治の舞台に立つ決意をした。
こうして、追放解除を受けた政治家・岸信介と、戦後の日本を肯定して育ってきた政治家・吉田茂の対立が始まった。
岸信介は、アメリカ占領下にできた日本国憲法の改正を主張し、保守合同を実現させた。
吉田茂は敗れ、 自由党と鳩山一郎の日本民主党が合同して自由民主党が誕生し、55年体制が作られた。
鳩山一郎と吉田茂の仲の悪さも有名で、吉田のアメリカ中心の外交から一転して、日ソ共同宣言に調印してソ連との国交を回復したりと、外交に力を入れた。
自由民主党は岸信介が憲法改正を実現するために当時の保守政党を合同させ、改正に必要な「総議員の3分の2」を実現させるための巨大政党だと考えれば、孫の安倍晋三が憲法改正に熱心なのも納得できます。
また、ここに登場する岸信介・吉田茂・鳩山一郎が、親戚関係を辿っていくと全てつながっているというのも、知らない人からすれば悪い冗談に思えるかもしれませんが、ある意味でこれが日本という国が持つ闇を表していると言えるかもしれません。
○安倍家と麻生家の家系図を辿ってわかった歴代総理の異常な親戚関係と知ってたあの政治家のルーツ!日本の貴族社会の家系図まとめ
安倍晋三と中曽根康弘の関係に話を戻しますと、岸信介と中曽根康弘の関係は他にもあり、第二次岸改造内閣の時に中曽根康弘は科学技術庁長官として初入閣を果たしています。
中曽根康弘はその後も岸信介の弟である佐藤栄作が首相の時にも運輸大臣や防衛大臣に任命されています。
このように安倍晋三と中曽根康弘は浅からぬ縁がある間柄であることに加え、国家神道の復活を実現させるために憲法改正に積極的に取り組むところなど、生長の家(日本会議)の思想の影響を強く受けているところも二人に共通するところとなります。
このように見ていくと、安倍晋三も「空飛ぶウミガメ」計画に一枚噛んでいるのでは、という疑いがより一層濃くなります。
安倍晋三とカタカムナ
上島(神島)について調査する中でカタカムナ研究家の吉野信子の名前が登場しましたが、その吉野信子は安倍晋三の妻・安倍昭恵と顔が非常によく似ていると言われています。
カタカムナ研究家・吉野信子と「うず」にこだわる安倍昭恵
朴槿恵・元韓国大統領(日本名:高木桜子)も安倍昭恵と似ていると言われる一人ですが、吉野信子の方が「瓜二つ」と言っても良いくらい似ていますね。
ちなみに安倍昭恵と朴槿恵にはこのような因縁のエピソードがあったようです。
情報漏洩問題などで周辺があわただしい朴槿恵大統領。父親は日本の軍人として活躍した朴正煕大統領ということは皆様もよくご存じであろう。彼女は母親を暗殺され、次いで父親も暗殺された。このような彼女の身を案じ引き取ろうとしていた日本の大物政治家がいたことはご存じない方も多いだろう。私も先日知ったのでご紹介したい。
以下、原彬久『岸信介証言録』より
岸「高木くんの奥さんが殺されて、しまいには高木くん本人まで殺された。しかも殺したのがKCIAの長官という一報が入ってきて、あ、これはエラい事になったなあ、ってね。それで娘さんだけは絶対に守らなアカンと朝鮮とアメリカの伝手総動員で娘さんの安否を調べたもんですよ。男の子もいたけど男の子は男子の務め果たしてケジメつけないといかんかも、だけど娘さん達は助けないと、ってねえ」
原「娘さんですか?」
岸「そう、二人いたんだけどね、上の子は孫と文通もしとったからあの時は『もし韓国にいられないようなら引き取ってウチの二人の孫の嫁にしよう』なんて算段まで考えたもんです。まあその後梅原君が穏便に済ませてくれて杞憂で終わったけどね」
高木くん→朴正煕大統領 梅原くん→崔圭夏大統領
世が世ならば安倍晋三夫人は旧姓高木桜子(朴槿恵)さんだったかも知れない。安倍晋三と朴槿恵にはこのような繋がりがあるのだ。朴槿恵が、偽慰安婦像を放置したまま日本に10億円のおねだりをする相手に安倍晋三ほど適任はいない。日本政府は朴槿恵大統領をご招待するそうだが、個人的なお付き合いに国民を巻き込むにはお断りだ。
朴槿恵には妹がいますので、岸信介の孫と文通していたという上の子
は朴槿恵ということになりますね。
安倍晋三も三人兄弟なので、実際に文通していた相手は誰なのか気になるところです。
また安倍晋三自身もカタカムナと深いつながりがありました。
◯RAPT×読者対談〈第105弾〉関ヶ原の戦いより千年前に起きた天下分け目の戦いの真相。またはカタカムナと安倍晋三の深いつながり。
カタカムナ文献を重視する「チュルク族」の後裔である安倍貞任・宗任兄弟は東北地方を拠点としていましたが、それが山口県の田布施一族である安倍晋三にどうつながっていくのかは以下の引用文をご覧ください。
安倍晋三官房長官の父・晋太郎と話をしたことがある。私が岩手県の出身だといったら「安倍家のルーツも岩手県」と応じてきた。山口県と岩手県が、どう結びつくのか、晋太郎は「安倍宗任の末裔なんだよ」と言っていた。
それは、そのまま忘れていたが、宮守村の村会議長だった阿部文右衛門さんと四方山話をしていたら「安倍晋太郎は東北の王者だった安倍一族の末裔だ」という。そして、ほどなくして裏付けとなる資料を送っていただいた。石至下史談会の「原姓安倍氏 豊間根家の栞」がそれだ。
そこには「前九年役の敗北」の項に次の記述がある。
安倍宗任、正任は朝廷軍に降り、肥前国松浦(まつら)また伊予国桑村に流罪、宗任は後、宗像郡大島で生涯を閉じ、地元安昌院に眠る。(天仁元年 1108)。七十七歳であったという。
宗任の末裔は今は亡き自由民主党幹事長の要職にあった安倍晋太郎氏で又、子息の晋三氏は父の跡を継ぎて、衆院議員の要職に奔走されている、とあった。平成十一年の記述である。裏付けをとるために「姓氏家系大辞典」三巻で陸奥の安倍氏を調べてみた。そこには「肥筑の安倍氏」の項目に、鎮西要略に「奥州夷安倍貞任の弟宗任、則任俘となり、宗任は松浦に配され、則任は筑後に配せらる。宗任の子孫松浦党を称す」と載せたり。宗任の配所は小鹿嶋なりと伝ふるも詳かならず、とあった。
さらに「筑前の安倍氏」の項目には、筑前国宗像郡大嶋に安倍宗任の墓と称するものあり。伝えて云う。「宗任伊予国に配流せられ、後本嶋に流され、終に此の地にて死せり。その子三人、長子は松浦に行き、松浦党の祖となり、次男は薩摩に行き、三男此の嶋に留り嶋三郎季任と云い、その子孫今に此の嶋に残れり」旧志略に見ゆ、とあった。旧志略の方が鎮西要略よりも詳しい。しかしいずれも配流された蝦夷の頭目という扱いになっている。
それが平家物語になるとガラリと変わる。その剣の巻に「宗任は筑紫へ流されたりけるが、子孫繁盛して今にあり。松浦党とはこれなり」とある。平家は西国の水軍と密接な関係があった。松浦党はまさしく水軍で、後に博多湾に来襲した蒙古の軍船と壮絶な戦いを演じて、勇名を轟かせた。
また宗任の墓がある筑前国宗像郡大嶋は、水軍の根拠地となっている。この松浦党は壇ノ浦の海戦で平家方についた。だが、源氏との恩顧も忘れていない。平家物語は「源義家の請によりて、宗任を松浦に下して領地を給う」としている。
安倍貞任は猪突猛進型の武将だったが、宗任は知略に優れた名将といわれた。安倍一族を滅ぼした源頼義・義家親子は、宗任の武略を惜しみ、死一等を減じて朝廷から貰い受けている。そして頼義の領地・伊予国に連れてきた。配流とは名ばかりで、間もなく松浦の領地を与えた。
さて安倍家が松浦姓を名乗らずに安倍の本姓を名乗ってきたのは何故であろうか。安倍家は山口県大津郡油谷町の名門で、晋太郎の父親は安倍寛、戦前の衆院議員である。晋太郎は自らを安倍宗任の末裔といったが、その根拠はいわなかった。
安倍晋太郎の父である安倍寛は特に奥州安倍氏の末裔であるとは明かしていなかったようなので、晋太郎の代になってから奥州安倍氏の末裔を名乗り出したということなのでしょう。
そのためでしょうか、朝廷に従わなかったことから前九年の役で滅ぼされた奥州安倍氏については、安倍晋太郎がそのルーツを明かすまでは歴史の彼方に忘れ去られた存在だったようです。
戦前の教科書には安倍一族のことは、ほとんど出ていない。朝廷に刃向かった″賊徒″という程度の扱いであった。「炎立つ」を書いた高橋克彦氏も「安倍一族と源氏の戦を記録している資料は、陸奥話記を除くとほとんどないに等しい」と嘆いている。
安倍一族の興亡史は戦後になって光が当てられたと言っていい。それは安倍貞任が厨川柵で戦死した後も、その末裔が歴史上の足跡をしっかり残して、妖しい光芒を放っている。
奥州藤原氏の祖となった藤原清衡(ふじわら の きよひら)は、厨川柵の戦の当時は七歳。母は貞任の妹だったから、捕らえられて母とともに処刑される運命にあった。事実、父の藤原経清は処刑されている。
だが、美貌だった母の色香によって清衡は救われた。安倍氏を滅ぼした敵将である秋田の清原武則の長男・武貞に母は見そめられた。再嫁することになった母によって清衡は危うく難をのがれた。連れ子の清衡も清原武貞の養子となっている。母と子が処刑されていたら奥州藤原三代の栄華も生まれなかったことになる。
貞任の遺児・高星丸は厨川柵の戦いの当時は三歳。近臣に守られて落ち延び、津軽の地・十三湊で安東氏の祖となっている。興国の大津波で安東氏は祖地を失うが、一部は渡島いまの北海道に移った。岡本太郎氏のルーツが安倍一族だというのが事実とすれば、この系譜ではないか。
安倍晋太郎氏は安倍宗任の四十一代目の末裔を誇りとしていた。貞任が武勇に優れた猛将とすれば、宗任は知略に優れた知将といえる。貞任、宗任らの親は安倍頼良、十二人の子がいた。正室辰子(新羅之前)の間に生まれた実子は長男良宗・次男貞任・三男宗任。良宗は盲目であった。
貞任を滅ぼした源頼義・義家父子は捕らえた宗任を京都に護送したが、公家衆は宗任の処刑を求めている。宗任の知略を惜しんだ頼義・義家は助命を嘆願して、四国の領地に宗任を連れていっている。やがて肥前国松浦(まつら)で領地を賜り、宗任は宗像郡大島で七十七歳の生涯を閉じた。宗任の墓は地元の安昌院にある。宗任が京都で処刑されていたら、安倍晋太郎氏も安倍晋三総理も生まれなかったことになる。
もっとも晋三氏には晋太郎氏のような安倍一族に対する思い入れがないという。むしろ母親の岸元総理の長女・洋子さんの影響があるから、″長州っぽ″であることの誇りが勝っているのかもしれない。
安倍晋太郎は安倍宗任の末裔であることを誇りとしていたにもかかわらず、その息子である安倍晋三に至っては、選挙演説では自民党の票集めのために安倍宗任の名前を持ち出すことはあっても、安倍一族に対する思い入れなどないようです。
この温度差はいったい何でしょうか?
安倍晋太郎は安倍寛の実子ではなく養子であるという説があり、その出自を隠し通すために「安倍一族」であることをアピールする必要があったのでしょう。
また、イルミナティの子供は養子に出されるとも言われています。
スプリングマイヤーによればイルミナティの頂点に君臨しているファミリーは、イルミナティ13血流と呼ばれており、13家族存在する。
13家族の各ファミリーは、アスター家、バンディ家、コリンズ家、デュポン家、フリーマン家、ケネディ家、李家、オナシス家、ロックフェラー家、ロスチャイルド家、ラッセル家、ファン・ダイン家、ダビデ血流である。
~中略~
(李家)
億万長者で香港を仕切る李嘉誠、中国前首相の李鵬、元首相の李先念、シンガポール元首相の李光耀など。李一族はイルミナティと密接な連携のもと、世界最強の犯罪同盟である秘密結社「三合会」を従え、新世界秩序構築に貢献している。孫文や毛沢東の中国革命や共産中国経営も、権力中枢部に巣食う李一族の協力なしではありえなかった。ちなみに李家は日本の最大の敵として位置づけられる家族である。~中略~
スプリングマイヤーはイルミナティ13血流に関して興味深いことを述べている。
「13血流のならわしとして、重要な子は派手な祝いなどせず、秘密裏に目立たぬように産み落とされて、別の家へ養子に出される。こうしてその子は別の姓を名乗り、血流を隠す。
他方、オカルト儀式では実の親が進み出る。例えば、闇のマザーになろうとする娘を実の父親が孕ませなければならない。
彼女の最初の子は実の父親の子でなければならず、彼女自身の手で、その子を悪魔の生贄として捧げなければならないのである。
イルミナティの子は、その多くが養子に出される(事実、合衆国のクリントン大統領もそうである)。
イルミナティの系図をたどろうとすることほど難しいことはない。
つまり私が何をいいたいかというと、さまざまな理由により、多くの人物が私のあげてきた上位十二姓(および私がイルミナティ13血流としてあげたいくつもの姓)とは違う姓を持ってはいるが、彼らもまたイルミナティ13血流に属している、ということなのである。」
◯【小泉純一郎・安倍晋三】日本の歴代首相は、旧皇族と朝鮮王族の血筋である。
◯【安倍晋三は李家】日本を支配する在日の正体「李家」。憲法改正は李家復権のため!!
実際に安倍晋太郎の出生後の状況を見ると、不可解な部分があります。
金沢の旧制第四高等学校を経て、1921年(大正10年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。帝大卒業後は東京で自転車製造会社を経営していたが、1923年(大正12年)の関東大震災で工場が壊滅し、会社は倒産してしまう。東京に移ったのちに本堂静子と結婚し長男晋太郎を儲ける(追記:1924年4月24日)が、直後に離婚し以降は独身で暮らした。
また、安倍晋太郎のWikipediaにも、晋太郎が生まれて80日後に両親が離婚した
との記述があります。
関東大震災(1923年9月1日)の翌年であり、その震災によって経営していた会社が倒産しているのなら生活するのも大変なはずですが、そのような状況で離婚し、生後三か月の赤ん坊を男手一つで育てていくことができるでしょうか?
しかし、これが養子であれば可能でしょう。
後の安倍晋太郎であるとされる「李普」のプロフィールを見ると、生きていれば安倍晋太郎が生まれた時には三歳になる頃です。
李 晋(り しん、1921年8月18日 – 1922年5月11日)は、李垠の第一子。母は日本の皇族・方子女王。敬称は「殿下」。
関東大震災の被害により経済的に苦しい状況の安倍寛の弱みに付け込み養子を受けさせたうえ、妻の静子との間に実子が生まれると安倍家を乗っ取れなくなるので強制的に離婚させた、というところでしょうか。
当時の日本は天皇が神として崇められていた時代なので、皇族である李家もこれくらいのことをする権力は持っていたことでしょう。
このようにイルミナティは裏でこそこそと血縁関係を結び権力を維持し、庶民に対する支配体制を強化しているわけですが、「すり替え」や「養子」など、皇族の分りにくい系図をまとめてくださった方がおられるのでそちらを見てみましょう。
○皇室も首相も李家の可能性 より
この系図では安倍晋三は李氏朝鮮の初代国王である李成桂の子孫であるとともに、皇族の血も受け継いでいることになります。
また、この系図では安倍晋太郎は金正恩の大伯父に該当しますが、安倍晋太郎のWikipediaの写真が金正恩そっくりでした。
安倍晋太郎の若い頃は金正恩とそっくり
最初に見た時は安倍晋太郎ではなく金正恩かと思ってしまうほど似ていました。
「李晋太郎」の隣には出口王仁三郎も名前も見えますが、安倍晋三とはかなり近い親戚ということになりますね。
ここで勘の鋭い方は、この系図の「出口王仁三郎」「岸信介」「愛新覚羅」という名前を見れば、「満州」という言葉を思い浮かべるに違いありません。
そこで「カタカムナ」から少し視点を変え、「満州」とそれぞれの人物のつながりを見ていきたいと思います。
全てが満州でつながる
出口王仁三郎は「世界紅卍字会」の会員として、満州にユダヤ人を移住させるために活動していたことがあります。
◯ジョン・タイターの予言は既に着々と実現しています。「蝦夷共和国」はユダヤ人を北海道に移住させる「河豚計画」の一環として誕生する予定です。
◯RAPT×読者対談〈第106弾〉出口王仁三郎と日本軍による世界征服計画とその失敗。
世界紅卍字会の会員として、生長の家の創始者である谷口雅春の名前も見られます。
また、岸信介も官僚時代に満州へ赴任しています。
1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。
この頃から、岸はどこからともなく政治資金を調達するようになった。その後、満州から去る際に「政治資金は濾過機を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過機が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから関わり合いにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」という言葉を残している。
出口王仁三郎のユダヤ人の満州移住計画は頓挫してしまいましたが、その構想を受け継ぎ「河豚計画」へと発展させた鮎川義介は、岸信介と共に「満州三角同盟」と呼ばれるほどの間柄だったようです。
また、岸はどこからともなく政治資金を調達するようになった
とありますが、岸信介は満州で阿片の密売に関与し、その時に得た人脈と資金力を生かして権力の中枢に近付いて行ったようです。
岸信介を首相にしたのは麻薬の帝王
岸信介は第二次世界大戦中、中国大陸で満州帝国国務院に勤務する一方、里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」で、吉田茂等と共にアヘン密売に従事し、満州帝国建設資金を調達していた。
福家は戦後、里見のアヘン資金を日本の政界に持ち込むエージェントとして、岸首相、福田赳夫首相、美濃部亮吉東京都知事の選挙資金を拠出する。
日本統治軍GHQの「防諜レポート」には、里見と福家が密談し岸に政界工作資金を提供している点について、「要監視、注意」と報告。
日本ではまだ無名であった岸は、重光葵外相と共に訪米しダレス国務長官と会談し、雑誌「ニューズウィーク」の表紙を飾る。
岸はボスの里見からブッシュのボス、ロックフェラーが2大政党制度を強く主張し米国で民主党の絶大な支援者である事を、教えられていた。
岸はロックフェラーの「お墨付き」を貰って来た。
岸は「英語語学教師」ニューズウィーク日本支局長オンプトン・パケナムを通して、24時間、ロックフェラーとブッシュに監視される事になる。
65年、里見が亡くなると、里見の資金を岸が引き継ぐ。
その岸の人脈と金脈を引き継ぎ、首相となったのが現在の安倍総理である。
麻薬帝王 里見甫(はじめ)
日本に訪れた昭和初期の大不況で、生活に困った日本人の多くは中国大陸に渡った。それは日本のヤクザ、暴力団も同じであった。
その中で、三井、三菱といった大財閥に資金を出資させた右翼の大物、里見甫(はじめ)の昭和通商という企業は、目立たないが最大手の企業。
里見がそこで扱うのは麻薬、アヘンであった。
「殺人株式会社」の軍事部門アイゼンベルグは第二次世界大戦中、戦後におけるイスラエルの建国を目指して日本に「研修」に来ていた。
米国最大のマフィア組織であるアイゼンベルグと、日本の大物右翼、ヤクザである里見甫はここで出会う。
ショール・アイゼンベルグは、1940年に新日鉄の会長であった永野重雄の娘と結婚している。
中国大陸のアヘン市場は、アヘン戦争以降、英国軍部と結び付いたイラク出身のサスーン財閥の独占市場であった。
中国国民党を支持していたサスーンは、中国共産党とは折り合いが悪く、最終的に共産党が政権を取ると、サスーンは中国のアヘン市場を失う事になる。
この世代交代につけ込んだのが里見。里見は三井、三菱を背後にした資金力と飛び抜けた商才で、中国の地下経済を支配する青パン、紅パンと呼ばれる秘密結社にまで幅広く人脈を広げ、一時期は英国を始めとしたアングロサクソンを排除し、中国のアヘン市場を支配下に置いた。
その背後には、サスーンを中国アヘン市場から追い出し、次の世代の中国アヘン市場を狙うアイゼンベルグ社(後にイスラエル建国の中心となる)と里見との提携があった。
この昭和通商で、里見甫の部下として「金儲け」のため麻薬売買を担った人物達の中に、右翼の大物、児玉誉士夫、そして岸信介、佐藤栄作、池田勇人がいた。
日本が第2次世界大戦に突入して行く契機となったのが、東条英機の大政翼賛会の結成。
東条英機はこの大政翼賛会の結成を、野党議員の「金による」買収で成し遂げた。
その買収資金の提供を求め、東条が「泣き付いた」相手が右翼の大物、里見甫であった。
里見とアイゼンベルグの麻薬資金が日本の戦争体制を「成立」させていた。
こちらの情報も参考にさせていただきました。
○安倍首相が心酔するおじいちゃん・岸信介の戦争犯罪! アヘン取引でブラックマネーを集め戦争を遂行
○安倍首相の「安保法制」妄執の背景に、敬愛する祖父・岸信介がA級戦犯を逃れるため米国と交わした裏取引きが!
岸信介・佐藤栄作兄弟の他に、吉田茂(長女・桜子の夫・吉田寛は岸信介・佐藤栄作兄弟の従兄弟)、池田勇人も阿片の密売に関わっていたようです。
つまり日本は麻薬の売人という過去があっても、コネと金の力があれば首相になれる国ということでもあり、現在はその孫である安倍晋三と麻生太郎が首相と副首相を務めていることになります。
里見家の墓の墓碑銘の揮毫を岸信介に依頼するほど、岸信介と親密な関係にあった阿片王・里見甫ですが、この人物もまた李家つながりだったようです。
里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 – 1965年3月21日)は、ジャーナリスト、実業家。関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴。
里見甫のWikipediaでは中国名李鳴
という部分だけ削除されてしまっていますので、「李家」に関する情報は、日本を支配するイルミナティにとっては国民に知られてはまずい情報ということでしょう。
(里見甫の資金源として三井や三菱といった財閥の名前がありましたが、安倍晋三の兄・安倍寛信が三菱商事の重役になっているのも、阿片の密売によって儲けさせてもらった見返りによるものでしょうか?)
その「李家」の人間である里見甫は、「電通」と「共同通信」の前身となる「満洲国通信社」で主筆として活動していました。
○現在の電通と共同通信の母体となる満州国通信社を作った【阿片王・満州のドン】里見 甫
現代の広告業界を牛耳る電通と、日本のマスコミが流すニュースの情報源となっている共同通信は、どちらも阿片王・里見甫の息が掛かった組織であり、里見甫と親密な関係にあった岸信介の孫・安倍晋三は、日本のマスコミが流す情報を誰よりも自身の都合がいいようにコントロールできる立場にあると言えるでしょう。
また「空飛ぶウミガメ」に話を戻しますと、全日空と電通は共同で事業を展開するほど親密な関係にあります。
やたらと「ii」や「!!」を強調する「空飛ぶウミガメ」のCMについて取り上げましたが、東京オリンピック招致の贈賄疑惑にも関与しているとされる電通ですので、もしかしたら「空飛ぶウミガメ」の企画自体にも電通が関与していることも考えられます。
電通といえば、安倍昭恵も安倍晋三と結婚するまでは電通の社員でした。
安倍昭恵は大麻解禁運動の急先鋒というイメージですが、これも安倍晋三の祖父・岸信介が阿片の密売で莫大な富を得たことに味を占め、大麻解禁によって生まれる大麻利権を岸家・安倍家を含めた李家一族で握ってしまおうという魂胆でしょう。
世間では安倍昭恵の自由奔放な活動が、夫である安倍晋三の足を引っ張っているかのような伝え方をされますが、「うず(カタカムナ)」にしろ「大麻」にしろ、様々なつながりが見えてくると、安倍昭恵が李家の利権のために忠実に働いていることが分かります。
また「カタカムナ文献」を引き継いだ楢崎皐月も、先にリンクを貼ったRAPTブログの記事では「山口県」「満州」という岸信介と縁がある地名と関係がありました。
1899年5月9日、山口県東萩の母方の実家で誕生した。その後、北海道札幌市で育った。(註:山口県は「安倍晋三」の生まれ故郷でもあります。)
母方の祖父・楢崎寛直は旧長州藩士で、初代長野県令を務めた。実父・丹野軍治は旧伊達藩士で、屯田兵として北海道の開拓に従事した。後に楢崎家を継ぎ、中学校卒業後上京。
1917年、日本電子工業・電気学校で学んだ。卒業後、20代で国産の特殊絶縁油を開発。日本石油と契約を結び、フリーランスの技術者として活躍。
その後石原莞爾の助言を受け、福島県相馬郡に亜鉛から人造石油をつくるプラント工場を設立した。
1943年、東條英機の要請により、満州吉林省河北の陸軍製鉄技術試験場の所長として赴任した。陸軍の製鉄所の建設地決定の為に大地電気分布の構造を実測した。
1944年、満州、吉林で盧有三(90歳位)老子教老師と会い、古伝(日本の超古代文明:八鏡の文字を持ったアシア族)について聞かされた。
その時、老師に伝わっている鉄器の熱伝導のよさに驚いた(木の葉で湯が沸いた)。
RAPT×読者対談〈第105弾〉関ヶ原の戦いより千年前に起きた天下分け目の戦いの真相。またはカタカムナと安倍晋三の深いつながり。
RAPTブログでも海水から石油を作る技術について触れている記事がありましたが、楢崎皐月は70年以上も前に石油を人工的に作る研究をしていたということになりますね。
◯RAPT×読者対談〈第100弾〉原爆はただのマグネシウム爆弾。石油の原料もただの海水。トヨタの水素自動車もただのパクリ。
ここで引用されている文章は楢崎皐月のWikipediaからのものになりますが、現在のWikipediaではこの大部分が改変され、全く別物と言っていいほど変えられてしまっています。
1899年5月9日、山口県あるいは北海道で生まれた後、北海道札幌市で育った。
1917年、日本電子工業・電気学校で学んだ後、満州にて日本軍に関わる技術職に従事する。終戦後、星製薬社長の星一の援助で、星製薬内に「重畳波研究所」を設立し、様々な研究を行う。
本人の主張によれば、1948年頃から全国の電位分布実測調査を行ううち、兵庫県六甲山山系の金鳥山(俗称:狐塚付近)での生活中に平十字と名乗ると宮司と出会い、カタカムナ文字とされる巻物を大学ノートに書き写したとされ、その後20年ほど経過した後、著書に記述し始める。
楢崎皐月は数冊の本を出していますので、まともなプロフィールがあるはずですが、山口県あるいは北海道で生まれた
という表現は何でしょうか?
そこで、楢崎皐月のもう少し詳しいプロフィールはないかと探してみました。
1899(明治32).5.9日、山口県東萩で生まれる。本名はさつき。生後まもなく父が住む北海道札幌市二向かい、この地で育つ。母の実家で出産し、嫁ぎ先に戻ったのではないかと推測されている。父は旧仙台(伊達)藩士の丹野軍治。 母方の祖父は楢崎(ならざき)寛直。松下村塾出身。高杉晋作と共に上京した。明治6年から14年まで長野県令の要職にあり、その後も大阪控訴院の院長、大審院の判事を歴任している。この寛直の娘を母とする。楢崎家に男子がなかった為、後に養子となり楢崎姓を継ぐことになる。
1916(大正5)年、17歳の時、札幌の中学校卒業。当時の旧制中学は5年制で、17歳で卒業するのが普通だった。仙台二高に進学する予定であったが、試験を受けた翌日、誘われて松島に遊びに行って船の事故に遭い、身体検査の時刻に間に合わず不合格となる。
1917(大正6)年、18歳の時、進学を断念し上京。志願兵に応募し陸軍に入隊する。約1年間、軍隊生活をする。(少尉任官ともある)。その後、レントゲン研究家の河喜多氏の知遇により日本電子工業に入社し、働きながら電気専門学校に学ぶ。独学で物理や化学を勉強する。卒業後、その稀に見る才能で様々な発明をし、若くして産業界や軍部の一部に能力を評価される。
1919(大正8)年、20歳の時、日本石油と契約し、絶縁油の研究に着手する。昭和10年前後の頃、当時輸入に頼るしかなかった特殊絶縁油の開発に成功し、事業化する。各方面から注目を浴びる。この間、楢崎の兄が田無の逓信省電気試験所の電気技術技師としてイオン交換などの研究に取り組んでいたことにより、これを手伝ったりアドバイスしている。
1940(昭和15)年、41歳の時、石原莞爾に注目され、研究内容を軍の特許登録するよう助言があり、陸軍省の依頼を受け福島県相馬郡原町で藤本榮次郎と共に「大日本炭油日工業㈱」を興して亜炭を原材料とする人造石油を精製する研究を始める。
1941(昭和16)年、 42歳の時、陸軍省からの要請を受け満州の吉林(きーりん)製鉄所の陸軍製鉄技術研究所所長として渡満する。貧鉄から品質の高い鋼の製造に成功する。その後、軍の特務研究に従事。次のような娘の証言がある。
「軍の内密の命令により、今で云う原子力(父は質量勢力といっていた)の基礎研究のようなことをやるためであった。もっとも表向きは製鉄試験場ということで、貧鉄鉱から良質の鉄を精錬する研究なども行っていた」。
この時、満州の吉林の老子教道院の娘々廟(ニャンニャンビョウ)で、その地でもっとも人々の尊敬を集めていた道士の蘆有三(らうさん)道士に会う。これは、老子経第41章の次の記述に対応している。
「上士は、道を聞きて勤めて之を行う。中士は、道を聞きて存するがごと亡するがごとし。下士は、道を聞きて大いに之を笑う。笑わざれば以て道となすに足らずと」。
日本人として初めて寄進したことから、蘆有三に招じられ一服の茶を勧められた。楢崎はこの時、不思議な鉄製の茶釜を見せられている。蘆有三は、庭の泉水を汲んで入れ、4~5枚の木の葉を揉んで火打石で点火した。その場で出されたお茶は舌を焼くほど熱かった。楢崎は、僅かの火で湯を沸かす特殊な鉄に強い興味を持った。その茶釜を貰い受けたいと訪問を重ね懇請したと云う。
この時、次のような遣り取りをしている。楢崎氏は、「中華民国はこれ師の国なり」と持ち上げた。これに対し、蘆有三(らうさん)道士は、「中華不是 他尊弥 過自負慢弥」続いて、「アシア人の創造した八鏡カミツ文字は、実によく整い、その上、自由に変換する機能があるので、物の理を弁じ、様々の技術の便を生じ、物事の仕組み、仕掛けを利く知り、天の命題、即ち天地万物の成り立ちや、経過まで、明らかに示すことができる。これまさに、八鏡の字なり」と告げた。
この時、次のような老子教の古伝の不思議な話しを聞かされる。
「老子経古伝によれば、上古代の日本の地にアシヤ族という高度の文明を持つ種族が存在していた。彼らは、『八鏡の文字(八鏡化美津之文字)』を創り、特殊の鉄をはじめ、さまざまの生活技法を開発していた。それが神農氏らによって伝えられシナの文化のもとになった。後代の哲学、医学(易の思想や素文霊柩、漢方等)は、その文化の流れで展開したものである。我らが教えの源流は古代日本からもたらされたものなのですよ。こういう言い伝えが秘かに伝わっている」。
この時の話しが後にカタカムナ文献の発見につながることになる。次のように記されている。
「直接に, 『老子の古伝』として伝えられている言葉によれば、 我々が シナ民族固有の文化と思っていたもの(易・漢方医術・製錬法・老荘哲学・堯舜(ぎょうしゅん)の理想政治等)は、 日本上古代の文化の流れをくむものであるとのことである」(八号84~101頁)。
「そしてこの慮有三老師の語った日本上古代の文化を示す『八鏡文字』とは、カタカムナの声音図賞であったことが カタカムナの文献解読の結果、確認されたのである」(三号8・51頁, 八号83~89頁)(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第十号」 株式会社現代社 p.8)。
その宇宙観に深い感銘を受ける。この慮有三老師との出会いについて、相似象はこう語っている。
「吉林の山中に獨移(どくい)する老僧の, 思いも及ばぬ, 驚くべき識見と, 人格の高潔さ, 一種の超能力的不思議さ等に打たれた。彼は, 改めて入門を乞い, 敗戦で引き上げるまで, 親交を結ぶに至ったのである」(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第八号」 株式会社現代社 p.86)。
1943(昭和18)年、44歳の時、亜炭から人造石油をつくる日本造石油・炭油株式会社を福島県相馬郡に設立。第2次対戦中、陸軍の指揮下で戦車用の ディーゼル油の合成をやって実際に戦車が走り、この研究は現在も京都大で続けられている。
1944(昭和19)年、45歳の時、「植物波農法」指導開始。地電位によって農作物の生育が変わることを発見し、その技術を使った農法を開発している。
1945(昭和20)年、46歳の時、終戦で帰国。戦時中、軍関係の仕事をしていたことから楢崎グループは解散させられる。星製薬の創設者であり衆議院議員でもあった星一(ほし はじめ、作家の星新一の父)氏が、戦時中、一部の産業界や軍部から天才科学者と評価されていた楢崎の才能が干されるのを惜しみ、スポンサーとなって楢崎グループを再結集させる。星は、当時の食糧難と将来に備えた「新しい農業技術」の開発を委嘱する。
楢崎グループは、戦後復興の一手段として工業用原材料の生産を主とした農業を拡大する為の「植物波農法」の研究に向かい、五反田の星製薬の研究所で重畳波の研究にたずさわる。旧海軍技術研究所の軍関係者や技術者と「化成会」を創設する。
星製薬内に重量波研究所を設置し、農業において土地の善し悪しは、大地の電気分布で判断出来るのではないかという仮説の下、大地電位の分布実測調査を開始すると共に重畳波の研究にたずさわる。(この研究は後に「植物波農法」として完成する。 「静電三法」発刊。静電研究会を創設し、化成主義文化の活動を本格化する。
1948(昭和23)年、47歳の時、星製薬を離れ、全国の大地電位の分布実測調査を始める。3年間で1万7千ケ所を回る。農業において土地の善し悪しは、大地の電気分布で判断出来るのではないかという仮説の下、全国の測定調査を行っていた。この研究は後に「植物波農法」として完成する。調査中、兵庫県六甲山系金鳥山の大きな岩の上に松が茂っていることを聞き、その調査のために、助手数人と向かう。
1949(昭和24).12月、50歳の時、助手の青年数名と一緒に兵庫県の六甲山系・金鳥山(標高500m)の俗称狐塚付近で穴居生活をしながら実測調査に入る。この山の中腹には保久良(ほくら)神社がある。延喜式神名帳に記載されている由緒ある神社で、社殿を取り巻いて巨石を環状に配置した磐境(いわさか)遺跡が鎮座している。
1950(昭和25).1月、この時、平十字(ひらとうじ)氏と出会う。平十字氏は、「父がカタカムナ神社の宮司で、この巻物は父祖代々『カタカムナの神のご神体』として伝わったものである」と巻物を見せた。そこには江戸時代の和紙に筆写したと見られる渦巻き状に丸と十字を基本とした図が80種類描かれていた。楢崎氏は、かって満州にいた頃、老子教の道士から聞かされていた「八鏡文字」であると直感し、その巻物を筆写した。
楢崎氏は、研究用に持っていた大学ノートにその文字を全て写し取り始めた。但し、その文章量は一日で写し終わるようなものではなく、それから20日間、皐月のところへ巻物を手に平十字が毎日通ったという。皐月はそれまで度々実家に葉書を送って安否を知らせていたが、このときは一ヶ月間葉書をよこさなかったと皐月の娘が次のように述懐している。
「父は全国を大地調査していましたが、行く先々で手紙を寄越して必ず居場所を知らせてくれていました。それが、金鳥山の事件のころ1ヶ月以上も音信不通になって、家族が大変心配したことがあります。そのとき『今神戸の近くにいる、あと1週間したら帰る』と書かれたよれよれになったハガキが届き、家族一同ひと安心したことがありました」。
相似象は、この顛末を次のように記している。
意訳概要「12月から3月にかけての寒中の64日間, 金鳥山の付近に穴居していた楢崎たちのもとに、初めて訪れた時の平十字氏は、 初老の猟師の姿で、 鉄砲を持ち、 腰に兎を一匹ぶらさげていた。そして、鉄砲をガチャつかせて威嚇しながら、『お前さんたち何の為にやってきた?泉に妙なものをしかけるから、森の動物達が 水飲みにいけなくて困っている。すぐに除けてやってくれ。あそこは動物たちの水飲み場なんじゃ』と怖い顔で命じ、『決して狐をうつな、 兎ならくれてやる』と腰に下げたのを投げ出して言ったという。楢崎皐月たちは、泉に電線を張り巡らせて水の成分を分析していた。翌朝、楢崎たちが言われた通りに取りはずしておいたところ、 次の夜再び現れた平十字氏は機嫌よく労をねぎらい、『お前さんたちは感心な人たちじゃ、穴居しなければ本当のことは分からんものじゃ。これは、すぐに外してくれたお礼じゃ』と褒め、 お礼にと古い巻物をとり出し、自分は平十字(ヒラトウジ)、父はカタカムナ神社の宮司、 この巻物は、『父祖代々伝わる御神体である。俺たちなんかが見たら目が潰れる』と云われて 厳しく秘匿されて来たものであることを告げ、江戸時代と思われる古い和紙に書かれた巻物を開いた。円と十の字を基本とした図形を渦巻き状に配列したもので、暗号のようなものに見えた。『今までにこれを見て、刀のツバや定紋の絵だろうと言った学者があったが、 そんなものじゃないんだ』と厳然として言い、 又『カタカムナの神を祭り伝える家柄は、 平(ヒラ)家と食(メシ)家の二つしかない(中家を入れて三家という説もある)』とも語った。楢崎は書写を願い出て、平十字は快諾した。皐月は研究用に持っていた大学ノートにその文字を写し取り始めたが、食器を入れておくミカン箱を机代わりにローソクの灯を頼りに筆写するのは容易ではなかった。文章量も一日で写し終わるようなものではなかった。『一夜では到底写しきれぬので翌日お宅に伺いたい』と申し出たところ、『お前さんたちの足で険しい山坂は大変だ。大事な物なので預ける訳にはいかない。毎晩、俺が持って来てやる』と云い、それから20日間、皐月が1巻の巻物の80個の渦巻きを写し終えるまで、皐月のところへ巻物を手に平十字が毎日通った。皐月はそれまで度々実家に葉書を送って安否を知らせていたが、このときは一ヶ月間葉書をよこさなかったと皐月の娘は述懐しているという」(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第八号」 株式会社現代社 p.91) 。
このようにして楢崎が六甲山中で平十字と名乗る不思議な猟師に出会ったことで写 し取った図象がカタカムナ文献だとされている。カタカナのもとになったのがカタカムナ文献であり、平十字なる人物がサンカ(山窩)ではなかったのかとの話もある。
「相似象」誌は次の話も伝えている。平十字は時には昼間、不意に現われ、辺りの地形を説明したり、太古の歴史を語った。興味深い事件として、現在の天皇家の祖先は天孫族であり、国津の方カムナの神を祀る一族の主のアシアトウアンが戦い、アシアトウアンは負けて九州へ落ち延びそこで死んだ云々と告げている。
RAPTブログに引用された当時の情報と現在のWikipediaの情報に該当する年代を拾っていくと、この様になるでしょうか。
楢崎皐月は山口県萩市で生まれ、母方の祖父である楢崎寛直は松下村塾出身で高杉晋作と共に上京したそうです。
ということは、楢崎皐月の祖父・寛直は吉田松陰の弟子ということになりますね。
○アジア侵略を唱えた侵略主義者 | 吉田松陰は本当に「高潔な教育者」だったのか
また、楢崎皐月が満州に渡った表向きの理由は製鉄技術の研究のためだとされていますが、実際は原子力の研究のためだったようです。
人造石油の研究も京都大学に引き継がれ現在も行われているようです。
楢崎皐月の経歴からは岸信介との直接の関係は読み取れませんが、人造石油の研究を始めるように助言した石原莞爾と、陸軍製鉄技術研究所所長へ任命したとされる東条英機は満州人脈と呼ばれるメンバーの一人になります。
満州人脈(まんしゅうじんみゃく)とは満州国で形成された右派勢力の名称。戦後も日本政治に大きな影響を及ぼした。また日本による統治に協力した朝鮮のチンイルパ(親日派)の人物も多く含まれており、彼らは戦後韓国の軍事独裁政権の中で大きな影響力を及ぼした。両者は日韓基本条約の締結以来関係を深め、いわゆる『日韓癒着』とよばれる日本保守陣営との蜜月関係を築いた。
主なメンバー
- 岸信介(1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長、1937年(昭和12年)7月に産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任)
- 佐藤栄作(当時鉄道省から上海の華中鉄道設立のために出向)
- 難波経一(満州国民政部禁煙総局長)
- 池田勇人
- 松岡洋右(1935年(昭和10年)8月2日から1939年(昭和14年)3月24日まで南満州鉄道第14代総裁)
- 東條英機(関東軍参謀長)
- 椎名悦三郎(満州国産業部鉱工司長)
- 後藤新平(1906年(明治39年)11月13日から1908年(明治41年)7月14日まで南満州鉄道初代総裁)
- 二反長音蔵(追記:阿片の材料であるケシ栽培の研究家・阿片王)
- 吉田茂(1907年(明治40年)2月から1909年(明治42年)まで駐奉天日本領事館に領事官補として赴任、1925年(大正14年)10月から昭和3年(1928年)まで駐中華民国奉天・大日本帝国総領事)
- 星野直樹
- 大平正芳(1939年(昭和14年)6月20日から1940年(昭和15年)10月まで興亜院蒙疆連絡部経済課主任(1939年10月から経済課長)として着任)
- 愛知揆一(興亜院華北連絡部書記官)
- 長沼弘毅(興亜院華中連絡部書記官)
- 高畠義彦(海南島厚生公司東京事務所責任者)
- 関屋悌蔵(新京特別市市長)
- 鮎川義介(満州重工業開発株式会社総裁)
- 麻生太賀吉
- 福家俊一(上海の国策新聞「大陸新報」社長)
- 甘粕正彦
- 影佐禎昭(陸軍中将。特務機関員。谷垣禎一の祖父)
- 石原莞爾(陸軍中将。1928年(昭和3年)10月 – 関東軍作戦主任参謀。1931年(昭和6年)10月 – 関東軍作戦課長。1937年(昭和12年)9月 – 関東軍参謀副長。1938年(昭和13年)8月 – 兼満州国在勤帝国大使館附陸軍武官)
- 楠本実隆(陸軍少将。特務機関員)
- 橋本欣五郎(陸軍大佐。1922年(大正11年)4月 – 関東軍司令部附仰付(ハルピン特務機関)。1923年(大正12年)8月 – 関東軍司令部附仰付(満州里特務機関))
- 古海忠之(満州国総務庁次長)
- 岩畔豪雄
- 里見甫(追記:阿片王)
- 笹川良一
- 児玉誉士夫
- 朴正煕(元大韓民国大統領)
- 白善燁(元大韓民国参謀総長)
- 李周一
- 丁一権
岸信介は満州国のことを自身の「作品」と呼ぶだけのことはあり、この満州人脈のメンバーの筆頭として名前が挙げられています。
これまで人造石油や原子力の研究に携わってきた技術者であった楢崎皐月が、過去の研究とは全く違う分野である農業に関わるようになったのも、モルヒネの製造により「東洋の製薬王」と呼ばれた星一と満州で出会ったことがきっかけのようです。
モルヒネは医療において鎮痛剤として使用されますが、アヘンを原料とした麻薬であることに違いはなく、このモルヒネから更に中毒性が高いヘロインが作られます。
芥子栽培を軌道に乗せた昭和初期、阿片王・二反長音蔵は日本だけでなく朝鮮、満洲さらには蒙疆(もうきよう)にまで活動の場を広げる。薬用阿片増産が世のため国のためになると信じる音蔵は、生産地が欧米列強の目を盗むように奥地へ広がる現実に疑問を感じなかったと息子の二反長半は著書に書く。しかし仕込杖携帯を常とする音蔵が真に麻薬取引と無縁であったかは疑問が残る。殊に満洲國白頭山系で採取された阿片は殆どが馬賊への供出品だった。音蔵が寄稿した記述からも真相が窺える。
「長白から少し東進すると新義州から二五〇里上流の鴨緑江に出るが(中略)戸籍の調査もなければ警察もないという状況だ。地権といえばあの谷から向こうの丘までが自分の所有地という漠然たるもの。又この辺りは山が伐採されているに関らず馬賊の出没盛んなのは、一度雨が降れば忽ち道は川になる。川には橋もないためだ。……阿片吸引場を視察したが世紀末的慄然たるものを感じた。安東では阿片百匁を吸引するには、売店が一度吸引した灰を新阿片百匁に加えて二倍とし、これを三千から三千五百にきざみ、一個包み二十銭又は三十銭で売っていた」
東亜全域に阿片王の名が知れ渡った昭和一〇年元旦の専門紙『薬石新報』掲載の「芥子栽培阿片製造の初源は星一の手によるもの」という記事を見て音蔵は仰天する。後藤新平に紹介されて以来三〇年近く星一と親交を温めてきたが、自分の事績が掏り替えられた記事を読み、愕然となり新聞社に抗議文を送りつける。その抗議文がどう処理されたかは不明だが、二人が再会した話がない所を見ると以来絶縁となった可能性が高い。
~中略~
電気技術者であり人造石油の研究者として知られる楢崎皐月が石原莞爾の要請に従い満洲に渡り哈爾濱、吉林等で特殊製鉄の開発研究を始めたのは昭和一八年。同質の鉄鉱石から造られる鉄に差異が生じる原因を大地及び大気電気に求めた楢崎と阿片製造の星一との間に如何なる関係が生まれたか不明だが二人は満洲で親交を持つ。
昭和一九年春、短期間の帰国を果たした楢崎は福島県相馬郡で植物波農法の初歩的実験を行なう。耕地の電位調整、種子の電気的改善等、天才電気技師の面目躍如といった所だが特殊鋼製造に携わっていた楢崎が専門外の農作物に挑んだ理由は不明。満洲に拠点を置いた星一は阿片モルヒネに邁進し芥子の品質安定に頭を悩ますだけだった。同じ土地に同じ種子の芥子を育て何故モルヒネ含有量に大幅な差が生じるのか。楢崎の研究と星の関心事に共通点があるようにも見えるが製鉄と芥子栽培とでは対象は余りに違い過ぎる。
終戦直前に帰国した星一は星製薬内に重畳波研究所を開設したがその目的は「世界最高水準の研究活動を継続し楢崎のみを表に現す潜態活動」にあったと伝えられる。その実体は不明ながら昭和二五年に楢崎が刊行した『植物波農法』、昭和三三年の『物質変性法』『人体波健康法』が楢崎本来の研究課題と無縁な点に疑問が生まれる。
全薬業に関与し殊にキニーネ、モルヒネに意欲を燃やした星一が本拠地哈爾濱郊外にあった関東軍防疫給水部と密接な関係を保ち続けたことは想像に難くない。終戦直前の八月初旬に星一は新京で甘粕正彦と密談を繰り返し帰国。前後して帰国した楢崎は星の拠点だった戸越や五反田から離れ石井四郎が潜む習志野に居を構える。闇に隠れた謎はなお奥が深い。
引用文の筆者は特殊鋼製造に携わっていた楢崎が専門外の農作物に挑んだ理由は不明
としていますが、引用文を読むと、芥子栽培によって「阿片王」と呼ばれた二反長音蔵(満州人脈の一人)と袂を分かったモルヒネ製造者の星一が、安定して良質な阿片を手に入れるために、楢崎皐月に資金提供して農業技術の研究を行わせたということではないでしょうか。
土地をイヤシロチ化させる本来の目的が麻薬の品質安定のためだとすると、かつて安倍晋三がイヤシロチグッズを扱う「あらえびす」の代表であったこと、安倍昭恵が大麻解禁の活動を行っていることが全てつながり、大麻が解禁になった際に安倍晋三をはじめとする李家一族が大麻利権を独占するためであるとも考えられます。
◯RAPT×読者対談〈第79弾〉カタカムナとあらえびすとイヤシロチ詐欺。
(安倍晋三が「あらえびす」の代表だったという話は、リンク先の動画の26分35秒からになります)
また、文末に登場する「関東軍防疫給水部」とはいわゆる「731部隊」のことであり、「石井四郎」はその731部隊の部隊長です。
楢木皐月は「人体波健康法」として健康についての研究もしていますが、731部隊の部隊長であった石井四郎と接触していたとなると、「人体波健康法」に731部隊の人体実験データが用いられている可能性もあります。
「731部隊」というと、ネット上には「岸信介は731部隊のトップだった」といったような情報が出回っています。
このことが事実なら、安倍晋三にとってかなりの痛手となる情報となりますが、その真相を探るべく調べてみますと以下のリンク先がその情報の出所となっているようです。
○昭和天皇が嫌っていた松岡洋右と安倍晋三は親戚だった!そして岸信介がA級戦犯不起訴になった本当の理由。
この記事を読むとその根拠となる情報源の提示はなく、実際にブログ主さんもこの件に関するウェブサイトなどは一切削除されていて、情報は全くといっていいほどないので、これはあくまでも私の推測であることを前もって言っておく
と言われていますから、それだけ世の中には信憑性に欠ける情報が蔓延していることにもなります。
「安倍晋三の祖父・岸信介は731部隊のトップだった!」と言えばかなりインパクトがありますが、間違った情報をお伝えするわけにはいきません。
○妄動大国
(上のリンク先では冒頭で李下に冠を正さず
という諺を引用されていますが、安倍晋三が李氏朝鮮王朝の末裔だと分かると、安倍晋三と岸信介に関する記事に「李」という言葉が使われていることが偶然とは思えません。)
ちなみに「カナダde日本語」のブログ主さんは小沢一郎の支持者のようですし、最近では「れいわ新選組」推しのようです。
その「れいわ新選組」のバックについていると言われているのが朝堂院大覚(本名:松浦 良右)です。
◯ RAPT×読者対談〈第129弾〉日本は在日ヤクザに牛耳られている。(麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇)
こちらの記事を見ると、大阪維新の会・山本太郎(れいわ新選組)・立花隆志(NHKから国民を守る党)・幸福実現党が朝堂院大覚を介して裏でつながっていることが分かります。
その朝堂院大覚こと松浦良右の松浦氏は嵯峨源氏であるということですが、李家が乗っ取り、安倍晋三が先祖だと騙る安倍宗任の血も引いているとされます。
Wikipediaは権力者に都合よく編集され、中には「上級国民」の様に記事自体が削除されてしまうこともありますので、別のサイトから引用しておきます。
佐賀に赴任する時、実は私の出身地の岩手と佐賀を結ぶ接点に気付いていました。岩手の人も、佐賀の人もほとんど知らないと思いますが、それは北九州(福岡、大分、佐賀)に今も残り、そして史実としてある程度の確度がある「安倍宗任伝説」です。
~中略~
前九年の役の結果は、安倍貞任は戦死、藤原経清は処刑というものでした。しかし弟の宗任は、その知略と勇猛さを惜しまれ、四国の伊予(讃岐説もあり)に流されます。(源義家が源氏の勢力拡大のために送ったとの説もある)また、経清の子は生き残り後に藤原清衡となって、奥州藤原氏の初代となります。
さて、宗任は人望があり、警戒されたのか、更に豊後(大分)に流され、更に筑前(福岡)に移動してこの地に根付きます。このときにこの地で宗任が嫁に迎えたのが肥前(佐賀)松浦党の娘・真百合で、産まれた女子(市埜)が稼いだのが松浦党の始祖である源久(みなもとのひさし)であるといわれています。つまり松浦党には、奥州安倍氏の血が入っているということになります。(このほか、ストレートに宗任の子が松浦党の祖という説もあり、本当に諸説もあります)
もうひとつ有名な話として、宗任の三男が松浦党に婿に入り、松浦実任となって、松浦水軍の一族を形成したという説もあります。実任の子孫である高俊代に源平合戦があり、平氏方の水軍として壇ノ浦で戦い、負けて山口に流され、先祖の安倍姓に戻して土着したという話ですが、この安倍一族が安倍総理のルーツであると、安倍総理自身が岩手での選挙応援演説で語って、広く知られるようになりました。
この話が今まであまり知られていなかったのは、平戸松浦藩が江戸時代に、自分のルーツが蝦夷であるとされるのを回避するため、自らの作る正史としては宗任のことを排除したためのようですが、佐賀、福岡、大分には安倍宗任に関連した史跡や伝承が多く残り、全くのデタラメな伝説とは云えないでしょう。
松浦氏の始祖とされる源久の妻が安倍宗任の娘だとすると、朝堂院大覚は奥州安倍氏の血も流れていることになります。
朝堂院大覚としては、嵯峨源氏である松浦氏が蝦夷である奥州安倍氏の血を引いていることは隠しておきたい。
一方で、安倍家を乗っ取った李家が、古くから続く家系であるかのように見せかけるために奥州安倍氏の名を利用することは癪に障る。
朝堂院大覚が安倍晋三を執拗に攻撃するのも、旧来の支配層と明治維新からの新興勢力である田布施一族との権力闘争(新旧勢力も婚姻関係で結ばれているので更に複雑)の上に、このような複雑な事情が潜んでいることが影響しているのかもしれません。
話を731部隊に戻しますと、731部隊の実質的なトップは昭和天皇・裕仁の従兄弟である竹田宮恒徳王(宮田参謀という偽名を使用)であるとされています。
◯中国で人体実験を行っていた731部隊の関東軍参謀は、昭和天皇の従兄弟にあたる竹田宮恒徳(偽名で宮田参謀)
○731からフクシマまで!! この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
731部隊のトップが皇族なら、皇族のトップは天皇ですから、最終的には天皇が諸悪の根源ということになりますね。
天皇という巨木が存在するから、天皇家とルーツを同じくする輩たちが得意の政略結婚や養子縁組を駆使して天皇家や皇族に接ぎ木され、天皇家を中心とした日本のイルミナティが庶民から富や労働力を搾取しどんどん生い茂っていきます。
つまり、天皇家がなくならない限り、安倍晋三や麻生太郎を滅ぼしたとしても、また第二・第三の安倍晋三や麻生太郎が湧いてきてしまいます。
一朝一夕で天皇家が滅んだり、天皇制が廃止されることはありませんが、イルミナティたちが悪魔を拝んでいるなら、私たち庶民は神様に向かって、天皇を始めとするイルミナティたちの滅亡を祈るしかありません。
「満州人脈」を辿っていくだけで「空飛ぶウミガメ」と安倍晋三の関連性が次々と見えてきましたが、安倍晋三の祖父・岸信介の人脈は「満州人脈」以外にも「田布施(長州)人脈」「李家人脈」「東大人脈」などがあります。
戦後、岸信介はA級戦犯として東京裁判にかけられ無罪となりますが、一時的に公職追放処分を受けることになります。
その後はまた政治家として復帰することになりますが、復権するまではその豊富な人脈を生かして様々なサポートを受けていたようです。
巣鴨プリズン出所後の翌日には、岸の親友で財界の重鎮であった藤山愛一郎から彼が経営する日東化学の監査役を依頼され、彼から豊富な活動資金を供給されることになる。そして、年が明けた1949年には銀座の交詢社ビル別館の7階に「箕山社(きざんしゃ)」と名乗る岸信介事務所を構え、その年の暮れから「箕山社」を株式会社として正式活動させ始める。
公職追放処分中の岸は、更に東洋パルプの会長などを務めていた。この会社は永野護がプロモートして広島県呉市に工場を建設した会社で、岸が会長、社長が足立正、取締役が永野、藤山愛一郎、津島寿一、三好英之、監査役瀬越憲作であった。しかし、経営がうまくいかず後に王子製紙に売却した。
岸信介 – Wikipedia
岸信介を支えた一人に「永野護」という名前が登場しますが、この永野護を筆頭とする「永野兄弟」は戦後の政財界で活躍したそうです。
永野護: 実業家・政治家
○永野護 – Wikipedia
永野重雄:新日本製鐵会長(全日本空輸設立の中心人物)
○永野重雄 – Wikipedia
永野俊雄:五洋建設会長
伍堂輝雄:日本航空会長
○伍堂輝雄 – Wikipedia
永野鎮雄:参議院議員
○永野鎮雄 – Wikipedia
特に次男の永野重雄は「財界四天王」と呼ばれたうちの一人であり、「戦後の財界のドン」とも呼ばれた人物です。
この永野重雄は「財界のドン」と呼ばれるだけあり、財界だけではなく政治にも影響力を持った人物であり、特に福田赳夫内閣を実現させるためにかなり尽力したようです。
この福田赳夫は岸信介の子分的な存在で、永野重雄は福田赳夫を岸・佐藤兄弟の後継者としてバックアップしていたようです。
福田赳夫は「岸信介派」の分裂に伴い、時の首相であった佐藤栄作の勧めにより「福田派」を立ち上げましたが、その福田派が現在の清和政策研究会(旧・清和会)につながっていきます。
この縁もあってか、安倍晋三・昭恵夫妻の結婚の際には、福田赳夫が仲人を務めたようです。
安倍晋三・昭恵夫妻の仲人は福田赳夫
また、永野重雄には「黒龍会」の総長という肩書もあったようです。
○白龍会の総長・杉山茂丸と黒龍会の総長・永野重雄 〜日本経済の操縦桿を握っていた日銀総裁経験者が属していた組織〜
- 八咫烏総長:堀川辰吉郎
- 緑龍会総長:上田吉松
- 赤龍会総長:上原勇作
- 黄龍会総長:中山忠英
- 白龍会総長:杉山茂丸
- 黒龍会総長:永野重雄
また、永野重雄の長男は「裏天皇」こと堀川辰吉郎の娘婿だということですが、この堀川辰吉郎は出口王仁三郎の黒幕と呼ばれている人物です。
◯RAPT×読者対談〈第95弾〉出雲族が秦氏を破り、ジョン・タイターの地図を実現しつつある現状。
正面から全日空について調べていた時には永野重雄に関する情報の活用法を見出せなかったのですが、満州人脈から岸信介の人脈に目を向けたところ、岸信介と永野護に意外な接点があることが分かり、改めて永野重雄に関する情報を調べてみたところ黒龍会から出口王仁三郎に戻ってくることができました。
記事の公開後に以下のツイートを見かけましたので、追加しておきます。
○日航機墜落事故の慰霊塔 納骨堂、 慰霊の園 設計制作者は彫刻家の「半田富久」
この慰霊塔の製作者「半田富久」とワールドメイトの教祖「半田晴久(深見東州)」の名前が一文字違い、尚且つ顔が似ている気がしましたので調べてみました。
半田富久の肩書は「巨石彫刻家」ということで、「石工」といえば英語で「mason=メーソン」ですね。
また、Wikipediaの「主な作品・メモリアル」を見ていくと、日本航空機遭難事故慰霊塔及び納骨堂
、日本航空機遭難事故10周年忌供養塔
の他にも、気になる作品がありました。
- 宗教法人崇教真光 日本最大のオベリスク高さ21m (岐阜県久々野町)1992年
- 小山美秀子 奥津城(滋賀県信楽町)1984年
「オベリスク」は、古代エジプトを由来とする悪魔崇拝に関連する「巨石記念物」とされているものです。
◯RAPT×読者対談〈第93弾〉熊本地震は天皇家の起こした人工地震である。その証拠(2)
半田富久にオベリスクの制作を依頼した崇教真光は、「岡田光玉」を教祖とする「世界救世教」から独立した宗教団体です。
また、「小山美秀子」なる人物は、神慈秀明会の「開祖」であり、こちらも「世界救世教」から独立した宗教団体になります。
崇教真光と神慈秀明会の起源となる世界救世教の教祖は岡田茂吉であり、元は大本の幹部だった人物です。
ということは、大本の流れを汲む宗教団体と関係がある半田富久が「JAL123便墜落事件」の慰霊塔や供養塔を制作しているのも、単純に被害者の供養のためというよりも、やはり悪魔崇拝儀式のためなのではないかという疑いが強まります。
また、崇教真光の教祖・岡田光玉のWikipediaを見ていますと、1960年の安保闘争では、岸内閣の意を受けた児玉誉士夫の要請に応じ、生長の家などと共に信者を「警官補助警備力」として動員した
との記述がありました。
RAPTブログにも、安保闘争の際にデモ隊の鎮圧のため、岸信介が右翼や暴力団に協力を依頼したとの内容が、Wikipediaからの転載記事にありました。
岸信介は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暴力団関係者の会合に派遣。
松葉会会長・藤田卯一郎、錦政会会長稲川角二、住吉会会長磧上義光、「新宿マーケット」のリーダーで関東尾津組組長・尾津喜之助ら全員がデモ隊を抑えるために手を貸すことに合意した。
さらに、右翼と暴力団で構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会、岸自身が1958年に組織し木村篤太郎が率いる新日本協議会、以上3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。
現在のWikipediaでも加筆・修正されてはいますが、ほぼ同様の内容で記述が残されていますので、そこから続く文章を引用します。
さらに右翼と暴力団で構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会、岸首相自身が1958年に組織し木村篤太郎が率いる新日本協議会、以上3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。
当時の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」には「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8000人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。そこで岸首相は創価学会の会長に就任したばかりの池田大作に対し、大阪事件の裁判で無罪を言い渡すという交換条件を示して協力を依頼したが、これは断られたという。彼らは政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれている。
この記述を読むと、岸信介が創価学会の池田大作に協力を要請したが断られたという内容なので、私は安保闘争に右翼宗教団体は関りがないかのように思い込んでいましたが、「半田富久」との関連から岡田光玉のWikipediaを見たことで、安保闘争の際に岸信介が動員した右翼団体の中に生長の家が含まれていることが新たに判明しました。
その後、生長の家の創始者である谷口雅春の呼びかけにより、先にご紹介しました「新しい憲法をつくる国民会議」が設立され、初代会長に岸信介が就任しています。
○自主憲法制定国民会議(新しい憲法をつくる国民会議)と宗教団体
また、同会議設立の年でもある昭和44年に、岸信介が発起人となり「谷口雅春先生喜寿奉祝信徒大会と祝賀会」が開催されています。
○谷口雅春先生喜寿奉祝信徒大会と祝賀会 発起人は元総理大臣の岸信介氏で、各界の人たち三百人ほどの集 りであった。
この会には岸信介の子分でもある福田赳夫や、「財界のドン」こと永野重雄も出席していたようです。
しかしその後、日本国憲法無効・大日本帝国憲法復活を強硬に主張する谷口雅春と、日本国憲法を無効とすることで起こり得る社会の混乱を避けようとした岸信介との間に意見の食い違いが生じ、二人は袂を分かつことになったようです。
この辺りは同じ憲法改正強硬派でも、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」と言って戦争を礼賛した、自己の理想を追求する宗教家の谷口雅春と、東京帝国大学法学部卒で法律に精通し、より現実的な視点を持っていた岸信介との違いとも言えるでしょう。
○岸信介の信念/新しい憲法をつくる国民会議(=自主憲法制定国民会議)
その後、谷口雅春の思想を受け継いだ「生長の家の原理主義者」と呼ばれる人々が中心となって設立された団体が「日本会議」になります。
安倍晋三が憲法改正に邁進する姿は、祖父の岸信介よりも谷口雅春に近いものを感じますが、それだけ日本会議や、皇族に復帰して利権を得ようとする「李家」をはじめとする旧皇族たちや在日勢力の要求が強いということでしょう。
安倍晋三の祖父・岸信介と、生長の家の創始者・谷口雅春との接点が掴めたため、話が脇道に逸れてしまいましたが、日本航空機遭難事故慰霊塔を制作した「半田富久」に名前と顔が似ている、ワールドメイト教祖の「半田晴久」に話題を戻します。
ワールドメイトは「弥勒の世」を実現すること目指している
とされる宗教団体で、教祖の半田晴久(深見東州)は、学生時代に大本の出口王仁三郎の孫である出口京太郎の指導を受けたとされています。
ワールドメイトが目指している「弥勒の世」の実現
とは、豊雲野尊(みろく)を復活させるということを意味するのではないでしょうか。。
更に半田晴久(深見東州)は「日本紅卍字会」の名誉会長ということもあり、「世界紅卍字会」の会員だった出口王仁三郎の思想と活動を引き継いでいるとも言えます。
また、半田晴久(深見東州)は岸信介が憲法改正を目的として設立したシンクタンク、「協和協会」の理事長も務めています。
ちなみに現在の協和協会の会長代行は、安倍晋三の弟である岸信夫ということです。
ここでまたしても安倍晋三につながってしまいました。
また、半田晴久(深見東州)といえば「CSIS(パシフィックフォーラム)」理事でしたね。
元大本信者であり、「日本紅卍字会名誉会長」「協和協会理事長」「CSIS理事」など、多くの肩書を持っている半田晴久(深見東州)も、要注意人物だと言えそうです。
この「CSIS」で、自己利権のために「日本の水道をすべて民営化します」と宣言した人物が麻生太郎でした。
◯RAPT×読者対談〈第126弾〉麻生太郎と悪魔崇拝。麻生太郎がこの世界の中心になろうとしている現実。
○水道民営化は麻生太郎のヴェオリア社への利益誘導じゃないのか?
また、「トリプルゼロ議員」こと小泉進次郎も、「CSIS」に一時籍を置いていたことは知られています。
◯「森友学園」問題の本当のカラクリ。日本の政治もマスコミも「麻生太郎」のために動かされている。
「トリプルゼロ」とはあまり聞き馴染みのない言葉ですが、「質問0」「議員立法0」「質問注意書0」の国会議員(税金泥棒!)を意味する言葉だそうです。
○国会議員は仕事してるの? 72人もいる「トリプルゼロ」とは
○日本の国会議員の年収は世界一!?その高すぎる給料について徹底解説!
国会議員らしい仕事をしていなくても高額な年収を得ている小泉進次郎ですが、ここで更に育児休暇取得を検討しているとのこと。
○進次郎議員の育休発言に感じる違和感~自分より先に国民の育休を考え法整備するのが政治家の仕事では?
○小泉進次郎氏が育休に異議あり 国会議員は国民の負託を受け議員活動をする存在
しかし、小泉進次郎は父の純一郎が行なった「郵政改革」に倣い、自民党農林部会長として「農協解体・農業破壊」を積極的に推し進めているようです。
○森友学園は隠れ蓑【日本の農業を破壊する小泉進次郎ら・種子法廃止】
国会議員として国民のために働いているとは思えない小泉進次郎ですが、日本の人口を半数に削減した方が良いという、日本国民としては受け入れ難い思想の持ち主です。
○【怖すぎ】小泉進次郎氏が日本の将来を語る「悲観的な1億2千万人より、自信に満ちた6千万人のほうが良い」
これも、李家・安倍晋三と同じく、小泉進次郎が生粋の日本人ではなく、朝鮮人の血を引いているからでしょう。
添付したリンクのタイトルに「稲川会」とありますが、小泉進次郎の父・小泉純一郎が指定暴力団・稲川会と深い関係にあることは有名な話ですね。
○【自民党の朝鮮暴力団コネクション】 安倍晋三と 山口組の金庫番。小泉純一郎と稲川会。トヨタ!!
この最初のリンク先の情報では、小泉純一郎が福田赳男の秘書官を務めていた際に、統一教会との連絡役を任せられ、政治家となってからも統一教会の関連団体である勝共連合と関係があるということです。
「統一教会」「国際勝共連合」と言えば安倍晋三ですね。
国際勝共連合の機関紙「世界思想」の表紙を飾る安倍晋三
国際勝共連合のWikipediaにおいて、重要人物として名前が挙げられている児玉誉士夫と岸信介ですが、この二人は安保闘争の際にデモ隊を押さえ込むために右翼団体や暴力団に協力を要請していました。
その時、岸信介に協力した団体の中に「錦政会会長稲川角二」という名前がありましたが、この「錦政会」は「稲川会」に名称が定まる以前に使われていた団体名です。
このように見ていくと、岸信介と小泉純一郎は浅からぬ縁があると言えます。
また、安倍晋三のWikipediaにも、1995年の自民党総裁選では小泉純一郎の推薦人の一人になった。
2000年の第2次森内閣で、小泉純一郎の推薦を受け、政務担当の内閣官房副長官に就任。第1次小泉内閣でも再任した。
との記述もあります。
無派閥で度々安倍政権批判ともとれる発言をし、安倍晋三と距離を置く立場をとる小泉進次郎ですが、岸信介人脈や李氏朝鮮系の田布施人脈の一員であることは間違いなく、滝川クリステルとの結婚報告を首相官邸で行ったことでも明白です。
この小泉進次郎も「ポスト安倍晋三」と世間で必要以上に持ち上げられていることから、「弥勒の世」となった際の中心人物となる可能性があります。
前代未聞の官邸での結婚報告の裏には、小泉進次郎から最初に報告を受けたとされる菅義偉の策略であるとも言われています。
○なぜ官邸で結婚発表 菅義偉氏が小泉進次郎氏を必要としていると推察
この小泉進次郎と菅義偉のタッグは、横浜市のカジノ誘致にも関わっているとされます。
○カジノ利権を狙う「横浜のドン」の影が見え隠れ 総理の椅子が欲しくなった「菅官房長官」(1)
横浜市のカジノ誘致に反対する「横浜のドン」こと藤木企業の藤木幸夫会長は菅義偉の後援者でもあり、その父である藤木幸太郎は稲川会の二次団体である「埋地一家」のトップでもありました。
カジノなど望んでいない国民の方が大半だと思いますが、横浜市が誘致に名乗りを上げたことで、これからドロドロとした強欲政治家たちによる利権争いが繰り広げられそうです。
○菅vs麻生vs二階、内閣改造裏テーマはカジノ3兆円利権争奪戦
国民を奴隷化し、イルミナティの利権のために権力を行使する田布施一族による支配を一刻も早く終わりにするため、真実の情報を伝え広めていきましょう。
ANA「空飛ぶウミガメ」と「JAL123便墜落事件」についてのまとめ
当初はANAの「空飛ぶウミガメ」が「鶴と亀」の関係から「JAL123便墜落事件」を思い起こさせ、怪しいと感じた事柄について調べみただけでしたが、調べていくうちに意外な事実を知ることができました。
- 「空飛ぶウミガメ」のデザインは他の一般公募の作品とはデザインの完成度が違いすぎ、最初から「空飛ぶウミガメ」の計画がありデザインされた可能性が高い
- 「空飛ぶウミガメ」の座席数520が、墜落した「JAL123便」の犠牲者数と同じ520名(CMでもこの「520」という数字を強調している)
- 「JAL123便墜落事件」の首謀者と思われる中曽根康弘が愛読していた「生長の家」の聖典「生命の實相」の表紙に「鶴」と「亀」が描かれている
- 「竜宮城」をイメージして描かれた「空飛ぶウミガメ」と「JAL123便墜落事件」に深い関係がある成長の家の総本山が「龍宮住吉本宮」
- 「シャカ」は中国のハンドサインでは「6」を意味し、「空飛ぶウミガメ」のデザイン発表の際、三人が「シャカ」をすることで「666=みろく」を表現している
- 大本神話では艮の金神(国常立尊)が復活するためには、まず妻神の坤の金神(豊雲野尊)が復活することが必要だとされている
- 「国常立尊(艮の金神)」の妻神「豊雲野尊(坤の金神)」は上島(神島)に幽閉されていた
- 豊雲野尊(坤の金神)は「みろく」であり、地の神である国常立尊(艮の金神)よりも神格が高いとされる天の神
- 大本では国常立尊(男神)が懸かった出口なおを「変性男子」、豊雲野尊(国常立尊の妻神)が懸かった出口王仁三郎を「変性女子」と定めている
- 「空飛ぶウミガメ」のCMでは、不自然なほど多く「!!」や「ii」が使用されるのは、イルミナティが悪事を計画する際の予告である可能性がある
- 「生命の實相」の表紙のデザインは、フリーメイソンのシンボルが描かれている
- カタカムナ研究家の吉野信子が豊雲野尊(みろく)が幽閉されたとされる上島(神島)に上陸し、怪しげな儀式を行っている
- 天御中主(=国常立尊)が祀られ、出口王仁三郎が九鬼神道のトレーニングを受けたとされる高御位山の山頂で、カタカムナ研究家の吉野信子が「アナあっぱれ」と言って怪しげな儀式を行っている
ANA「空飛ぶウミガメ」による第二の「JAL123便墜落事件」が起こされないことを祈り、計画に関わる悪人たちの滅びをお祈りします。
世の中の悪が全て滅び、あなたに救いがありますように。
すべての人に同一に臨むのは、日の下に行われるすべての事のうちの悪事である。また人の心は悪に満ち、その生きている間は、狂気がその心のうちにあり、その後は死者のもとに行くのである。
伝道の書 9章3節
12月30日JA383A🛩!!🚢🇯🇵
Thank you for the wonderful information
明日3月21日(旧暦2月12日)
JA383A🛩!!
春の日あな(ANA)たは風に身をまかせ フライングホヌ墜落 = 567
回り舞いこの空にそっと消えていった ホヌ墜落 = 567
甲辰3.31🛩!!
FLYING HONU3号機JA383A 墜落予想日
6月1日
6月27日
7月21日
7月31日