知っておきたい初詣に関する知識

日本には新年を迎えると神社仏閣に初詣をする風習があります。

この「初詣」とは何を目的として、いつ頃から始まったものなのでしょうか。

初詣・初詣で(はつもうで)とは、年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりする。初参・初参り(はつまいり)ともいう。

歴史

元々は「年籠り」(としこもり、としごもり)と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神神社に籠る習慣であった。

やがて年籠りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、元日詣が今日の初詣の原形となった。

江戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神神社に参詣したり、居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣(恵方詣り)したりといったことが行われた。

「年籠り」形式を踏まず、単に社寺に「元日詣」を行うだけの初詣が習慣化したのはそれほど古い時代ではなく、明治中期のこととされている。

また、氏神や恵方とは関係なく、有名な社寺に参詣することが一般的になった。

また現在でも、除夜に一度氏神に参拝して一旦家に帰り、元旦になって再び参拝するという地方がある。これを二年参りという。

近代以後の変容:恵方詣りから初詣へ

江戸時代までは元日の恵方詣りのほか、正月月末にかけて信仰対象の初縁日(初卯・初巳・初大師など)に参詣することも盛んであった。

研究者の平山昇は、恵方・縁日にこだわらない新しい正月参詣の形である「初詣」が、鉄道の発展と関わりながら明治時代中期に成立したとしている。

関東では、1872年(明治5年)の東海道線開通により、従来から信仰のあった川崎大師などへのアクセスが容易になった。

それまでの東京(江戸)市民の正月参詣は市内に限られていたが、郊外の有名社寺が正月の恵方詣りの対象とみなされるようになった。また、郊外への正月参詣は行楽も兼ねて行われた。

平山によれば「初詣」という言葉は、それまでの恵方詣りとも縁日(21日の初大師)とも関係のない川崎大師への正月参詣を指すのに登場したといい、1885年(明治18年)の『万朝報』記事を管見の初出と紹介している。

鉄道網の発達に伴い、成田山新勝寺など郊外・遠方の社寺にもアクセスは容易となり、また京成電鉄や京浜急行電鉄、成田鉄道(現・JR成田線)など、参拝客輸送を目的として開業された鉄道会社も登場した。

競合する鉄道会社間(国鉄を含む)では正月の参詣客を誘引するために宣伝合戦とサービス競争が行われた。

当初は鉄道による有名社寺への「恵方詣り」の利便性が押し出されたが、年ごとに変わる恵方に対して「初詣」という言葉がよく使われるようになり、大正時代以後は「初詣」が主に使用されるようになった。

関西では、もともと恵方詣りは元日よりも節分に盛んに行われていた。

鉄道会社の集客競争の中で正月参詣にも恵方が持ち込まれるようになり、関西の人々は節分のほかに元日にも恵方詣りを行うようになった。

しかしながら、鉄道会社が熾烈な競争の中で自社沿線の神社仏閣をめいめいに恵方であると宣伝し始めたため、やがて恵方の意味は埋没した。

大正末期以降、関西では方角にこだわらない「初詣」が正月行事の代表として定着した。

ルール

初詣の対象は神社・寺院のいずれでもかまわないとされている。

これは明治時代初期に神仏分離が行われる前は、神道と大乗仏教ならびに祖霊信仰が一体化した神仏習合による信仰が一般化していたためである。

つまり、初詣に限らず社寺への参詣に神道・仏教の区別はあまり無いとされていたことの名残である。

一般的には、正月三が日に参拝するのを初詣といっているが、1月中に参拝も初詣とする考え方もある。

また、回数に関する規定も無い。

多数の神社仏閣に参詣すれば色々なご利益があるという説もあり、その場合神社仏閣を特に問わない。

例えば西日本の一部地域の様に「三社参り」などと言って正月三が日の内に複数(多くは3社程度)の神社に参拝するのが習慣となっている地域もある。

宗派による考え方の違いが大きい。

初詣 – Wikipedia

江戸時代までは「年籠り」や「恵方詣り」などが、それぞれの地域の氏神や信仰に関連して年末や年始に行われていました。

現在の「初詣」というスタイルが出来上がったのは明治以降のからであり、「初詣」という言葉が使われるようになったのも明治の中頃になってからのことです。

そして現在のように信仰とは関係なく、有名な神社仏閣に行楽を兼ねて参拝に行くようになった理由が、鉄道会社の集客競争によるものでした。

つまり鉄道会社が金儲けのために、宗教的な意味合いのある「年籠り」や「恵方詣」などの習慣を、単に神社仏閣に「元日詣」をするだけのイベントにしたものが現在の「初詣」ということです。

では無宗教や無信仰の人が多く、中には宗教を毛嫌いする人もいる日本で、それでも多くの人々が真冬の寒空の下、有名な神社仏閣まで初詣のためにわざわざ足を運ぶ理由は何故でしょうか?

こんなことをわざわざ確認するのも野暮というものですが、信仰を持たない多くの人でも初詣に神社仏閣を訪れるのは、人々が神か仏に何らかの御利益を求めているからでしょう。

そうでなければ、一年で最も神社仏閣が混雑する時にわざわざ行くことはしませんよね。

普段は宗教嫌いで無信仰だけど、毎年正月には神社仏閣に初詣に行き、特に信じてもいない神に年に一度だけ参拝し、しかも御利益まで期待してしまう。

このように、自分の都合や目先の損得によって態度や主義主張を変える人のことを、世間では「現金な人」とも言いますね。

少しばかり強引な流れですが、「初詣」に欠かせない「現金」と言えば「お賽銭」です。

神社仏閣に初詣に行けば、皆がそれぞれの願い事を祈願し、お賽銭を賽銭箱に投入します。

この「お賽銭」、元々は祈願成就のお礼として神や仏に奉納するものでした。

賽銭(さいせん)とは、祈願成就のお礼として神や仏に奉納する金銭のこと。元は金銭ではなく幣帛・米などを供えた。

「賽」は「神から福を受けたのに感謝して祭る」の意味。「祭る・祀る」の語義は「飲食物などを供えたりして儀式を行い、神を招き、慰めたり祈願したりする」。


散銭ともいうが、金銭を供えるようになったのは後世であり、古くは米が神仏に供えられた。

その形態は、神前や仏前に米を撒く「散米」「散供・御散供・打撒」や、洗った米を紙に包んで供える「おひねり」だった。

金銭が供えられるようになったのは中世以降であり、庶民に貨幣経済と社寺への参詣が浸透しはじめた時期である。そして、参詣が一般化したことで都市の風習として、賽銭をあげることが流行になった。

しかし、現在のように賽銭箱が置かれるようになったのは近世以降である。また、地域によっては長らく米が供えられていた。

賽銭は願いを聞いてもらう対価ではないとする説もあり、日本書紀の「罪を素戔嗚尊に負わせ、贖罪の品々を科して差し出させた」というところから自身の罪を金銭に託して祓うとする説(浄罪箱)と、賽銭箱に硬貨を入れる音で罪祓う(鈴と同じ)とする説がある。

賽銭 – Wikipedia

「賽」は「神から福を受けたのに感謝して祭る」の意味であり、本来の賽銭とは祈願成就のお礼として神や仏に奉納する金銭であるはずです。

それが今では願いを聞いてもらう対価として、賽銭を神社仏閣に奉納する形態になっています。

鉄道会社が儲けのために「初詣」をイベント化し、神社仏閣は利益を得るために「賽銭箱」を設置し、人々は「御利益」を得るために信仰とは無関係に「初詣」に行く。

このように初詣には様々な人々の思惑や欲望が絡み合っているからこそ、無宗教や無信仰の人が多い日本という国であるにもかかわらず、新年の風習として現在も続いているわけです。

お賽銭はどこへ行く?

では、人々が投じたお賽銭はどのように使われるのでしょうか。

初詣のお賽銭で大金を投じる人はほぼいないでしょうから、普通はお賽銭の使用目的などそこまで深く考えることはないと思います。

神社仏閣の収入として考えると、お賽銭よりもおみくじ・お守り・お札の販売収益や近年ブームになっている御朱印の方が、神社仏閣にとって大きな収益となっているかもしれません。

このお賽銭をはじめとする神社仏閣の収益は、神社仏閣の維持・運営のための経費として使用されると考えるのが一般的でしょう。

しかし、そのお賽銭が良からぬ勢力の資金源となっているとしたら…。

神社仏閣は宗教団体が所有する土地や建造物であり、宗教団体ということは思想や理念を持って活動している組織でもある、ということを忘れてはなりません。

その神社仏閣が得た収益の一部が宗教団体としての思想や理念を実現する目的に利用され、その思想や理念が国民の権利や自由と相反するものであれば、国民の生活を侵害することになります。

風習やブームに乗って神社仏閣を参拝し、そこで費やした金銭の一部が、あなたの生活を苦しめることにつながる可能性があるのです。

ここからが、テレビをはじめとする大手マスコミでは報道されない、あなたに知っておいていただきたい神社仏閣に関する知識になります。

神社仏閣と右翼団体・日本会議の関係

神社の約90%に該当する八万社の神社が、神社本庁という組織に加盟しています。

この神社本庁は政治的な活動も行っており、関連団体の神道政治連盟が多数の国会議員や地方議員を支持しています。

神道政治連盟国会議員懇談会

この「神道政治連盟国会議員懇談会」については、以下のリンク先をご参照ください。

安倍晋三と小沢一郎が天皇派の最重要人物であるという幾つもの証拠。

また神社本庁は日本会議という団体にも加盟しています。

この日本会議は以下のような政治的な活動を行っています。

日本会議の活動内容

日本の皇室関連の運動
男系による皇位の安定的継承を目的とした皇室典範改正
皇室の地方行幸啓の際の奉迎活動
改憲運動
地方、中央に於ける憲法シンポジウム・講演会の開催
憲法改正要綱の作成
教育関連の運動
学校教科書に於ける「自虐的」「反国家」な記述の是正
「親学」にもとづく、親への再教育、いじめ撲滅等を目的とした「家庭教育基本法」の制定
教育委員会制度の改革
「公共心」「愛国心」「豊かな情操」教育等を盛り込んだ「新教育基本法」の制定(2006年制定)
「国旗国歌法」の制定(1999年制定)
国防関連の運動
海上保安庁法等の改正(一部改正)
平時における自衛隊の領域警備に関する役割を定める法律の制定
自衛隊法の改正等による「有事法制」の整備
靖国神社関連の運動
首相の靖国神社参拝
靖国神社に代わる無宗教の「国立追悼施設」建設反対
極端な男女平等思想への反対運動
「選択的夫婦別姓法案」反対
「ジェンダーフリー」運動反対
日本の主権を侵害すると見做した動きへの反対運動
外国人地方参政権反対
「人権機関設置法」反対
「自治基本条例」制定反対

首相の安倍晋三を筆頭とする安倍内閣の閣僚の大半がこの日本会議に所属しており、日本会議の思想が安倍内閣の政策の基盤にもなっているといっても過言ではないほどです。

以下のページにまとめていますが、日本会議には神社本庁以外にも様々な宗教団体が参加しており、日本の政治は政教分離とは程遠い状態にあります。

「日本会議」に関連する記事

仏教の寺院も同様に全日本仏教会という団体があり、様々な宗派の七万五千もの寺院が同団体に加盟しています。

沿革 & 組織図|全日本仏教会

この全日本仏教会も神社本庁ほどではないですが、政治家ともつながっているようです。

賛助会員一覧|全日本仏教会

また、「日本会議」の前身である「日本を守る会」には、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、浅草寺の代表者が参加していました。

1997年5月30日に日本を守る会と日本を守る国民会議を統合して設立された。

日本を守る会は1974年4月に、円覚寺貫主・朝比奈宗源が神道・仏教系の新宗教に呼びかけて結成、政治課題に対して様々な保守的な政治運動を行っていた。

日本を守る国民会議は1981年10月に設立。最高裁判所長官を務めた石田和外らの呼びかけによって財界人・学者中心で、元号法制定を目的に1978年7月に結成された「元号法制化実現国民会議」をもとに、これを改組してつくられた。

日本会議 – Wikipedia

日本会議の主張は「憲法改正」や「国家神道の復活」などがあり、天皇を崇拝する神社本庁や生長の家の存在が大きく取り上げられますが、日本会議の全身である「日本を守る会」は円覚寺貫主・朝比奈宗源の呼びかけによるものでした。

政教分離の問題については、公明党と創価学会の関係がよくマスメディアで取り上げられますが、このように日本の多数の宗教団体が日本会議を通じて自民党とつながっています。

あなたが投じたお賽銭が、神社仏閣の運営費として使われるならまだしも、神社本庁を通じて神道政治連盟が支援する政治家の資金として使われたり、憲法改正をして戦争を起こそうとしている日本会議の活動費として利用されているかもしれません。

そこで次は、神社本庁及び神社と日本会議との資金面でのつながりについての記事を転載します。

᠁᠁では日本会議との関係についてうかがいたいのですが、神職の方で積極的に日本会議の運動にかかわっている方はどれくらいになるのでしょうか。

「データは持っておりません。ただ、これも温度差があって、神奈川県(の神社界)は意外と(日本会議の活動に)動いているほうだけれども、神職の15%か20%くらいですかね」

᠁᠁それでも結構な数になりますね。動員力でも資金力でも神社本庁は図ば抜けた組織ですから。

「それは実際にそうだと思います。動員の面でも、お願いすれば地域の皆さんが『各町で何人ずつ』といような形で出してくださいますから」

᠁᠁たとえば神社本庁が、ある集会に本気で動員をかけたら、どれくらい動員できるものなんですか。

「正確には分かりませんし、(集会の)内容にもよるでしょうけれど、たとえば『(日本)武道館を一杯にしましょう』という話なら、それはすぐにできることだと思います」

᠁᠁武道館というと1万とか2万とか・・・・。

「その単位なら普通に(動員)できると思います」

᠁᠁資金面はいかがですか。

「神社界はお金は持っていないですね(笑)。神社は氏子の方々、地域の旧家の方々が役員であったり、総代になっていらっしゃって、いざとなると支えて下さる面はありますが・・・・」

᠁᠁ただ、元自民党参院議員の村上正邦さんなどにうかがったんですが、昭和天皇の在位記念パレードなどの際には、明治神宮が資金面ですべて面倒見てくれたということでした。

「明治神宮さんはそうでしょう」

᠁᠁というと?

「それは日本一の宗教法人ですから。断トツの資金力を持ってらっしゃいます。でも、他人様のことをあれこれとお話ししたくはありません」

(中略:ここで青木氏は明治神宮の資金力について解説した。尚、明治神宮は子会社を持っていて、その子会社が結婚式場「明治記念館」などを運営していて、その明治記念館グループの子会社の売り上げだけでも年間110億円を上げているらしい)


᠁᠁地方の神社はともかく、東京都心などの神社はかなり資金豊富なのではないですか。

「それはやはり東京のお宮は別格ですよ。特に山手線の内側のお宮は、論外なくらいな資金力を持っていると思います」

᠁᠁そうした資金が日本会議の活動を支えているということですか。

「日本会議の会計は、私にはよく分かりません。ただ、神奈川県の話でいえば、たとえば横浜の関内ホールで(日本会議関連の)集会をやって百数十万(円)かかるから、そのうちの何割かは私たち神政連で用意しましょうと、そういう話にはなります」

᠁᠁それは集会にかかる費用の何割くらいになるんですか。半分とか?

「そこまではいきません。3割か、4割でしょう。ただ、それくらいはいつも出しています」

᠁᠁署名活動などにも協力していますね。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が進めている「1000万人署名」には、石川さんの神社をはじめとしていくつもの神社が境内で署名集めを行っています。あれはどのくらいの神社が協力しているんでしょうか。

「どれくらいですかね。(神奈川の場合は)1100社くらいある中で100社に満たないと思います。1割はいっていない」

(中略:ここで青木氏がこの「神社による署名集め」について解説。尚、2015年11月23日付の「神社新報」には、『(前略)現在、憲法改正の秋がやうやく到来した。すでに衆議院では改憲派の勢力が3分の2に達しており、安倍総裁の任期も3年ある。あとは来年7月の参院選で改憲派の勝利を目指して全力を集中することだ。参議院で改憲派が3分の2の議席を確保できれば、いよいよ国民投票に持ちこめる(後略)』と書いてあったらしい)

᠁᠁実際に署名集めを行った神社は、神奈川では全体の1割程度だったと。

「ええ。立ち位置としてはみんな日本会議の活動を理解してるし、憲法改正についても賛成だけれど、神社でその活動(署名集め)をやるとどう見られるか、(参拝などに)来られた方がどう見るかということに考えがいくんでしょう。そこまではちょっと踏み込めないという人(宮司)が多いんじゃないでしょうか」

᠁᠁特に地域に密着した神社なら、その地域にもいろいろな政治的立場の人がいるでしょうからね。

「そういうことです。自民党支持者だろうが、民主党支持者だろうが、それこそ共産党の支持者だって来ますから。そういう思想的なことを抜きにして集まるのがお祭りでもありますし、難しい面はあります」


᠁᠁選挙の際の政治資金だったり、あるいは人手などの部分はどうですか。

「まあ、多少はあるでしょう。今回の参院選(2016年7月実施)は神政連としては山谷えり子さん(を推薦すること)に決めてますし、その前は有村治子さんだった。おかげさまで2人とも大臣になって、大きな成果があったと思っています。その有村さんの(前回選挙の)時も、それなりに(票の)上積みはありました。その多くは、やはり日本会議や神社界の力だったと思う。そういう自負は持っています。今回(の参院選)も、山谷さんは上位の方で当選するのは間違いありません」

᠁᠁それだけの組織力を持っているということでしょうが、日本会議国会議員懇談会にせよ、神政連国会議員懇談会にせよ、あるいは地方議員の会もそうですが、これだけたくさんのメンバーを連ねていると、本当に信念を持っている人がいる一方、安倍政権だからなんとなく入っておいた方がいいかな、といった程度の議員もいるんじゃないですか。

「誰かから言われたとか、おつきあいで入った、そんな感じの人もいるでしょう。逆に、民主党などの中にも改憲派はずいぶんいて、その人たちが陰ながら力になってくれているという部分も実は侮(あなど)れないんです。われわれはとにかく自民党に限らない改憲派を糾合したい。それが日本会議の運動ですから」


᠁᠁そういう国学院の学生時代に生長の家出身の活動家とも交流を?

「ええ。当時の生学連(の出身者)とか日本青年協議会、日本協議会、そういう生長の家関連の方々が現在も活動家として頑張っています。彼らは学生運動華やかなりしころ、左翼があれだけ大騒ぎしていた時代に、このままじゃ日本が危ないと思っていた青年たち、学生たちで、その方々がいまも頑張っていらっしゃるわけです」

᠁᠁日本会議事務総長の椛島有三氏もそうですし、首相補佐官の衛藤晟一氏(私の注:2013年参議院選挙で高松市から出馬し、不正選挙のもと、得票数が0票だった、とネット上で騒がれている人物。つまりこの不正選挙は向こう側、つまり安倍晋三側の人物を陥れたことになってしまう)もそうですし、往時の生長の家からは幾人も日本会議の運動に人材を輩出しています。

「生長の家は、谷口雅春先生の考えを踏襲してさまざまな活動を展開し、その薫陶(くんとう)を受けた方々がたくさんいらっしゃるわけです」

᠁᠁素人目には違和感も覚えるのですが、神社本庁や神道界にとってみると、生長の家は新興宗教でしょう。同じ宗教と意味で言うと、ライバルでもあるんじゃないんでしょうか。

「神道を支えてくれる組織はいろいろあって、もちろん一般の氏子の方々でもあるんですが、一方でそういった新興宗教の教団が支えてくれる部分があるんです。神社の行事や、さまざまな形でね」

᠁᠁というと?

「多くの(新興宗教の)教祖は、ありがたいことにお伊勢さん(伊勢神宮)を大事にするし、地域のお宮さんを大事にしましょうとおっしゃってくれているところが多い。かつての生長の家もそうですし、仏教系、神道系を問わず、主に在家宗教の多くの教団の方々です。みんなお伊勢さんを大事にし、地域の神社を大事にしましょうという教えの教団です」

᠁᠁そういう教団のトップは日本会議でも役員などに就いています。つまり、新興宗教団体も日本会議や神政連の活動を下支えしていると。

「下支えしてますよ。そういった多くの教団がわれわれ神社界の活動を支えてくれている。日本会議の活動も、いろいろな宗教団体とか、あとは自衛隊のOB会や日本遺族会などが力になっている。動員面では、まさに神社界と宗教教団です」

᠁᠁神社界はもちろんですが、新興宗教団体も動員力はありますか。

「こちらからいつもお声かけして、たとえば100人お願いしますといって、100人出しますというところがいくつかあります」

᠁᠁しかし、そうした宗教団体が政治活動に深く関与することをどうお考えですか。政教分離は近代民主主義社会の原則であって、宗教団体が憲法改正などをこれほど組織的に訴えるのは・・・・・。

「違和感を感じると」

᠁᠁ええ。

「諸外国をみても、日本よりはるかに(政教が)分離していませんね。また、神社界の考える国の形というものをしっかり維持しなければいけないし、そういう意味で政治的な部分に触れる活動も必要だと私は思っています。われわれから見ると、戦後のコミンテルン運動の名残でもある(現行)憲法やら何やら、一時よく言われた戦後レジームというものがこの国にずっと蔓延していて、このままでは国の未来が暗いというふうにつくづく思ってしまう。その意味で、われわれもいまやっている活動に力が入るということです」

᠁᠁当面の最大目標はやはり憲法改正ですか。

「そうですね。憲法改正はこの国の正常化のひとつであり、いまは(運動の中心が)憲法改正になっています。この国の道統を維持し、後世に伝える。その手段として、憲法改正がいま一番のテーマだと思います」

᠁᠁とはいえ、憲法改正にかんしても、どこをどう変えるかについては右派の中でもさまざまな意見があるようです。生長の家に出自を持つ人びとだって、谷口雅春の教えを絶対視するなら、現行憲法の「改正」という論理では納得しないでしょう。

(中略:ここで青木氏は生長の家信者が憲法の「改正」ではなく、「つくり直し」にこだわっていることについて解説。尚、青木氏は谷口雅春の教義を絶対視する信者に取材中、「社会が乱れているのは、信仰心のなさなんです。あなたも考え直してください。信仰心を持ち、日本の国を愛し、国を思う気持ちを強くしなければならない。昔は(谷口)雅春先生が『この人だ』といえば『はい』と言って、何も考えないで(応援)できたのにねぇ・・・・・」と詰め寄られたらしい)


᠁᠁憲法改正ひとつをとってもいろいろな視座があるなか、それを大同団結した日本会議の下、改憲の署名集めなどに懸命に取り組んでいると。

「ええ。とにかくいまは憲法改正に向け、一点突破の場所をみんなで見つけようとしているわけです。たとえば緊急事態条項。こうしたところで一点突破していこうというのが(運動の)テーマのひとつになっています」

᠁᠁日本社会の雰囲気も変わりつつあるとお感じですか。

「それは感じますね。私はもう30年くらい、昭和天皇さまのご在位60周年の奉祝運動からこうした活動にかかわっていますが、(日本会議などの)存在感がきちんと認識されてきた、認められてきた、そういう空気感はあります」

᠁᠁それはなぜだとお考えですか。

「たとえば安倍政権になってからモノが言いやすくなったとか、いろいろな見方はあると思いますが、確かに何をやってもやりやすくなってきています。署名活動だろうが、ポスターだろうが、神社の社頭に掲げて、一件たりとも苦情は出ていません。地域も行政も含めて(運動が)やりやすくなっている感じですね」

᠁᠁それはやはり安倍政権の誕生といった政治の動きとシンクロしているんでしょうか。

「シンクロしている部分もあるんでしょう。いや、逆に日本の空気の変化、今の時代が安倍政権を生んでいるのかもしれませんよ。中国の動きなどが日本人に危機意識を持たせるような動きになっていますからね。でも、まだまだ成果としては、これからだというふうに思っています」

᠁᠁当面はとにかく憲法改正だと。

「ええ、そうです」

(引用終わり)

ここで私の文を書こうと思ったのですがこの引用文に続く著者の青木氏の文が、「日本会議」と「神社本庁や各神社」の関係をうまくまとめていましたのでその文を引用して終りにしたいと思います。

(引用開始)

日本社会の変質をめぐる石川の状況認識はともかくとして、その話から、おぼろげならも輪郭が浮かび上がってきたのではないだろうか。神社本庁と神社界の本音も、日本会議との関係も、あるいは日本会議の組織活動や資金源などの実態も・・・・・。それらを私なりに取りまとめれば次のようになる。

すでに何度か記したように、日本会議の実務的、あるいは理論的な中枢には、戦後日本の右派活動を支えた新興宗教・生長の家に出自を持つ者たちが多く就き、いまも地道な活動展開や理論構築の駆動力になっている。ただ、それを動員面・資金面、そして影響力などの面で強力に支えているのが神社本庁を頂点とする神社界であり、これにいくつもの新興宗教団体による側面支援も加わっている。

日本会議やその別動隊が各地で開くさまざまな集会には、そうした宗教団体や神社界が相当数の参加者を動員し、政治的なアピール力を高めるのに大きく貢献している。また、集会やイベントなどには相当額の資金を提供し、「改憲賛成」の署名集めなどにも組織をあげて協力している。もちろん実際には神社によって温度差はあり、公然と協力している神社が仮に1割程度だとしても、全国に8万社を超える神社界のパワーは侮れない。さらには日本会議とリンケージしつつ右派の政治家を熱心に支援し、得票などの面で組織的な影響力を行使している。

彼ら、彼女らは、現行憲法やそれに象徴される戦後体制を露骨に嫌悪し、これをなんとしても突き崩したい願い、宗教的出自から生じたがちだった小異を捨てて大同につき、日本会議という政治集団に結集した。そうした実態を踏まえると、日本会議とは、表面的な‘顔’としては右派系の著名文化人、財界人、学者らを押し立ててはいるものの、実態は「宗教右派団体」に近い政治集団だと断ずるべきなのだろう。そこに通奏低音のように流れているのは戦前体制᠁᠁すなわち天皇中心の国家体制への回帰願望である。

だとするならば日本会議の活動伸長は、かつてこの国を破滅に導いた復古体制のようなものを再来させかねないという危険性まで孕(はら)んだ政治運動だともいえる。しかし、その「宗教右派集団」が先導する政治活動は、確かにいま、勢いを増し、現実政治への影響力を高めている。

「日本会議」の資金源の一つは「神社本庁」

多くの人々が初詣に訪れる有名な神社仏閣は相当な資金力を持ち、日本会議の活動を資金面から支えているようです。

また、地方の零細経営の神社(寺院は葬祭・仏事ビジネスで裕福です)であっても、賽銭や氏子からの寄付などで生計を立てている神主が日本会議関連の政治的な活動を行っていれば、間接的に日本会議の活動を支えていることになります。

実際に神社本庁の資金力や集票力をバックに、神道政治連盟が推薦する山谷えり子や有村治子が国会議員となり、安倍内閣において大臣に任命されています。

また神社本庁は上記の「日本会議の活動内容」の中でも「憲法改正」を当面の最大目標としているようです。

この神社本庁をはじめとする様々な宗教団体が支える日本会議の活動が、国民主権を廃止し、天皇中心の国家づくりを目指すものであるからこそ、日本会議の思想を基盤とする安倍内閣の政策が、多くの日本国民にとって不可解且つ容認できないものとなっているわけです。

御利益を期待して神社仏閣に初詣に行き、そこで投じたお賽銭が巡り巡って、国民の生活を困窮させ、国民を戦争の危険に晒そうとする安倍内閣を支える資金となっているとは、何とも皮肉なものです。

世の中の悪が全て滅び、あなたに救いがありますように。

不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
テサロニケ人への第二の手紙 2章9~10節